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僧侶平安時代(中期)

行円

ぎょうえん

別名・通称

革聖(かわひじり)、皮聖(かわひじり)、横川皮聖(よかわのかわひじり)

平安時代中期、京都で革堂(かわどう、行願寺)を開いた僧侶。もとは豊後国(ぶんごのくに、現在の大分県)出身の猟師だったが、身ごもった雌鹿(めじか)を射止めてしまったことを悔い、出家したと伝わる。以来、鹿の革をまとって都を歩き、人々に教えを説いたことから「革聖(かわひじり)」と呼ばれた。
生涯・逸話
行円という人物を理解する鍵は、一頭の雌鹿(めじか)をめぐる悔悟にある。 行円は、豊後国(ぶんごのくに、現在の大分県)の生まれで、もとは猟師だったと伝わる。ある日、山で雌鹿を射止めたところ、その腹の中に子鹿が生きていたことに気づき、殺生の恐ろしさを深く悔いたという。この出来事をきっかけに出家し、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の横川(よかわ)で修行を積んで、千手陀羅尼(せんじゅだらに)を唱える聖(ひじり)となった。 出家したのちも、行円は射止めた鹿の皮を身にまとい続けた。その皮に千手陀羅尼を書きつけ、首に仏像をかけて都の中を歩きながら人々に教えを説いて回ったという。この姿から、人々は行円を「革聖」「皮聖」と呼ぶようになり、比叡山での修行の地にちなんで「横川皮聖」とも称された。 寛弘元年(1004)、行円は京都の一条(いちじょう、現在の上京区)に一宇を構え、千手観音を本尊として祀った。これが革堂、正式には行願寺(ぎょうがんじ)の始まりである。行円自らが刻んだと伝えられる本尊の千手観音像は、今も革堂の本堂に安置されている。行円が開いたこの寺は、その後の戦乱や火災で幾度も場所を移しながらも、都の人々の信仰によって再建され続け、現在は京都市中京区の寺町通(てらまちどおり)に建っている。 生年・没年は記録が残っておらず、はっきりしたことは分かっていない。
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