神仏教
不動明王
ふどうみょうおう

別名・通称
不動、お不動さん、不動尊、不動明王様
生涯・逸話
【どんな仏か】
不動明王(ふどうみょうおう)は、密教(みっきょう)の仏である明王(みょうおう)の一尊である。
名前の「不動」は「動かない」という意味である。足元の岩に座るゆるぎない姿は、迷いのない安定した心を表すとされる。
五大明王(ごだいみょうおう)の中心とされ、真言宗(しんごんしゅう)をはじめ、多くの宗派で大切にされている。
大日如来(だいにちにょらい)の化身(けしん)とされる。恐ろしい顔つきは、人々の救いを妨げる偽りへの怒りを表すと説明される。
【姿の見どころ】
右手に剣を持つ。迷いや悪い心を断ち切る智慧(ちえ)の剣とされる。
左手には羂索(けんさく)という縄を持つ。もとは鳥や獣を捕らえる道具で、迷う人々を救い上げる象徴とされる。
背中の炎は迦楼羅焔(かるらえん)といい、迦楼羅(かるら)が吐く火炎で、行く手をはばむものを焼き尽くすことを表す。
足元の岩は盤石(ばんじゃく)の座で、迷いのない心を表す。
矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)の二人の童子を従えるとされる。
【成田山新勝寺】
千葉県成田市の新勝寺(しんしょうじ)は、真言宗智山派の大本山で、「成田不動」とも呼ばれる。本尊は不動明王である。
寺伝では、朱雀天皇(すざくてんのう)の命を受けた僧の寛朝(かんちょう)が、京都の神護寺(じんごじ)にあった不動明王像を下総国(しもうさのくに)へ運び、平将門(たいらのまさかど)の乱を鎮める祈禱を行ったという。開創は940年(天慶3年)と伝わるが、939年とする記述もある。
江戸時代には、歌舞伎役者の市川団十郎が屋号を「成田屋」とし、この不動尊を厚く信仰した。団十郎の信仰が広まるにつれて、成田詣(なりたもうで)も盛んになった。
【関東三大不動】
成田山新勝寺、高幡不動尊(たかはたふどうそん、東京都日野市)、大山寺(おおやまでら、神奈川県伊勢原市)は、関東三大不動に数えられる。
高幡不動尊は、新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)の菩提寺(ぼだいじ)としても知られる。
【目黒不動と江戸五色不動】
東京都目黒区の瀧泉寺(りゅうせんじ)は、目黒不動として知られる。寺伝では、大同3年(808)に円仁(えんにん)が自ら刻んだ不動明王像を本尊として創建したという。関東最古の不動霊場とされ、関東三十六不動尊霊場の18番札所である。
江戸(東京)には、目黒・目白・目赤・目青・目黄の「江戸五色不動」がある。色は、陰陽五行説(おんみょうごぎょうせつ)で東を青、西を白、南を赤、北を黒、中央を黄とする考えにもとづく。
三代将軍・徳川家光が天海(てんかい)の勧めで五つの寺を選んだという話が伝わるが、これを裏づける史料は見当たらないとされる。江戸時代に「目」と色の名で呼ばれていたのは、目黒・目白・目赤の三つで、いずれも家光と縁があった。「五色不動」という呼び名が文献に出てくるのは、明治時代以降とされる。
文京区本駒込の南谷寺(なんこくじ)の目赤不動は、寛永のころ、鷹狩りの途中で立ち寄った家光が、すでに知られていた目黒、目白の不動に合わせて命名したと伝わる。