TabiShiri
霊山寺へ戻る
僧侶平安時代

伝教大師最澄

でんぎょうだいしさいちょう

? 〜 822

僧侶「伝教大師最澄」(平安時代)

別名・通称

最澄、伝教大師、日本天台宗開祖

日本の天台宗をひらいた僧。近江国(滋賀県)に生まれ、比叡山で修行したのち、唐で天台の教えを学んで帰国し、天台宗を伝えた。最澄が開いた比叡山延暦寺は、のちに鎌倉時代の新しい仏教の祖師たちが修行したことから「日本仏教の母山」と呼ばれる。
生涯・逸話
【どんな人物か】 最澄(さいちょう)は、平安時代のはじめに活躍した僧で、日本の天台宗(てんだいしゅう)をひらいた人である。 亡くなったのちの866年に、朝廷から「伝教大師(でんぎょうだいし)」の名を贈られた。 【比叡山での修行】 近江国(おうみのくに、今の滋賀県)の古市郷(ふるいちごう、今の大津市坂本)で生まれた。 780年に出家(しゅっけ)し、785年に奈良の東大寺で、正式な僧になるための戒(かい)を受けた。 その後まもなく奈良の大寺を離れ、比叡山(ひえいざん)に入って山の中で修行にはげんだ。 788年には、薬師如来(やくしにょらい)をまつる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建てた。これが、今の延暦寺(えんりゃくじ)の根本中堂(こんぽんちゅうどう)の始まりとされる。 【唐へ渡る】 804年、桓武天皇(かんむてんのう)の支えを受けて、遣唐使(けんとうし)の一行とともに唐(とう、中国)へ渡った。同じころ唐へ渡った空海は第一の船に、最澄は第二の船に乗っていた。 最澄は天台山(てんだいさん)で天台の教えを学び、たくさんの経典(きょうてん)を持って、805年に日本へ帰った。 翌806年、天台宗の僧を毎年2人ずつ認める許しが朝廷から出た。これが日本の天台宗の始まりとされる。 【人を育てることへの思い】 最澄は、すぐれた人を育てることを大切にした。『山家学生式(さんげがくしょうしき)』では、社会の一隅(いちぐう)を照らす人こそ国の宝だと説き、比叡山で僧を育てる仕組みをつくろうとした。 比叡山で僧になるための戒壇(かいだん)を開くことには、奈良の寺々の反対があった。その許しが朝廷から出たのは、最澄が亡くなった822年のことだった。 【のちの比叡山】 最澄が開いた比叡山には、のちに法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)・栄西(えいさい)・道元(どうげん)・日蓮(にちれん)といった、鎌倉時代の新しい仏教の祖師たちが修行したと伝わる。 このため比叡山は「日本仏教の母山(ははやま)」と呼ばれる。