TabiShiri
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僧侶中国南北朝

達磨大師

だるまだいし

僧侶「達磨大師」(中国南北朝)

別名・通称

達磨、菩提達磨、ボーディダルマ、禅宗開祖、面壁九年

中国禅宗の祖とされるインド出身の僧(生没年不詳、6世紀ごろ)。 梁の武帝と問答したのち北の魏に入り、嵩山(すうざん)少林寺で壁に向かって坐禅を続けた「面壁九年」の伝説で知られます。 日本では、縁起物の「だるま」として親しまれています。
生涯・逸話
【この人物を理解する鍵】 達磨大師を理解する鍵は、その姿の多くが「伝説」として語り継がれてきたことにある。伝記は後の時代に脚色された部分が多く、実在を疑う説さえある。それでも中国禅宗の祖として仰がれ、日本では縁起物の「だるま」として身近な存在になった。 【インドから中国へ】 南インドの王子、あるいはバラモン(僧侶階級)の家の出身と伝えられる。生まれた年も亡くなった年もはっきりしない。 6世紀の初めごろ、海を渡って中国に来たとされる。 【武帝との問答と面壁九年】 仏教を厚く保護していた南朝・梁(りょう)の武帝(ぶてい)に招かれて問答したが、意見が合わず、ひそかに北の魏(ぎ)へ去ったという。 北魏の嵩山(すうざん)少林寺に入り、9年間壁に向かって坐禅を続けた。これが「面壁九年(めんぺきくねん)」の伝説である。 【慧可への伝法】 弟子の慧可(えか)は、自分の腕を切り落として教えを求める決意を示したという説話で知られる。達磨はこの慧可に法を伝え、中国禅宗の祖となった。 この流れが、のちに日本の臨済宗・曹洞宗・黄檗宗にもつながっていく。 【だるまの縁起物】 日本では室町時代に、倒しても起き上がる「起き上がり小法師(こぼし)」がつくられていた。張り子の達磨は、江戸時代の享保年間(1716〜36)以降に江戸で広まったとされる。 手足のない形で、倒れても起き上がることから「七転八起(しちてんはっき)」の言葉とともに親しまれ、商売繁盛や開運の縁起物となった。最初に片目を入れ、願いがかなったらもう一方の目を入れる風習もある。 【ゆかりの地をたどる】 群馬県高崎市の少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)は、元禄10年(1697)創建の黄檗宗の寺で、高崎名物の縁起だるま発祥の地とされる。例年1月6日・7日には「七草大祭だるま市」が開かれる。