武将戦国時代
馬場信春
ばばのぶはる
1515 〜 1575

別名・通称
信春、馬場信房、馬場美濃守、武田四名臣
生涯・逸話
馬場信春(ばばのぶはる)は、戦国時代の武田家に仕えた武将です。武田信虎(たけだのぶとら)、信玄(しんげん)、勝頼(かつより)の3代に仕え、長篠(ながしの)の戦いで戦死しました。馬場信房(のぶふさ)の名でも知られ、官途の名から「馬場美濃守(みののかみ)」とも呼ばれます。
【生い立ちと家臣としての歩み】
甲斐(山梨県)の武将で、もとの名は教来石景政(きょうらいしかげまさ)といいます。生まれた年は、1513年から1515年までの説があり、資料により異なります。父の名は、確認できた辞典には載っていません。
のちに馬場の名を名乗るようになりました。通称は民部少輔(みんぶしょうゆう)、のちに美濃守を名乗りました。日本人名大辞典によると、天文15年(1546)に侍大将(さむらいだいしょう)となり、のちに譜代家老衆(ふだいかろうしゅう)に加わりました。後世には、武田の四臣のひとりに数えられています。
【「不死身」と伝わる話】
70回あまりの合戦に出ながら、一度も傷を負わなかったと伝わります。「不死身の馬場美濃」と呼ばれたともいいます。ただし、これは言い伝えで、確かな記録で確かめられているわけではありません。
【長篠の戦い】
天正3年(1575)、織田・徳川の連合軍と武田勝頼の軍が、三河(愛知県)の長篠で戦いました。馬場信春は、このとき勝頼に退却を勧めたが聞き入れられなかったと伝わります。ただし、この進言は、のちの創作の可能性もあるとされます。
戦いは武田軍に不利となり、信春は退却する勝頼の軍を守る殿(しんがり)を務めたと伝わります。5月21日に戦死しました。愛知県新城市(しんしろし)には、戦死した場所や墓と伝わる場所があります。
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