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武将戦国時代

明智光秀

あけちみつひで

1528 〜 1582

武将「明智光秀」(戦国時代)

投稿者がファイル作成, Public domain, via Wikimedia Commons

別名・通称

光秀、明智十兵衛、惟任日向守、日向守

戦国時代の武将(1528?-1582)。織田信長の重臣として丹波を平定するも、天正10年(1582)の「本能寺の変」で信長を討った稀有な謀反人。 直後の山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、「三日天下」と称される稀有な歴史の主役。
生涯・逸話
戦国時代を代表する智将・謀反人。 享禄元年(1528)頃、美濃国(=岐阜県)の武家・明智家に生まれる(出自・前半生は諸説あり)。 朝倉義景・足利義昭らに仕えた後、織田信長の家臣となる。 教養豊かな文化人として、信長の重臣に取り立てられ、近江・坂本城、丹波・福知山城を与えられた。 天正10年(1582)6月2日未明、約13,000の軍勢を率いて京都・本能寺を急襲、信長を自害させた「本能寺の変」の首謀者。 動機は諸説あり、現代も日本史最大の謎の一つ。 しかし豊臣秀吉の「中国大返し」で迅速に対応され、6月13日の「山崎の戦い」で敗北。 落ち武者狩りで殺害された(または討死)とされ、「三日天下」と称された。 近年は「本能寺の変は信長への忠義から」「徳川家康黒幕説」など多くの新説が提唱される稀有な存在。