TabiShiri
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武将幕末

久坂玄瑞

くさかげんずい

1840 〜 1864

武将「久坂玄瑞」(幕末)

別名・通称

玄瑞、松陰門下双璧、禁門の変

幕末の長州藩士(1840-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、高杉晋作と並ぶ松陰門下の双璧。松陰の妹・文を妻に迎えた稀有な縁戚関係。尊王攘夷運動の中心人物として活躍するも、元治元年(1864)、禁門の変で京都・鷹司邸で自決した稀有な悲劇、享年25。
生涯・逸話
吉田松陰門下の双璧、禁門の変の悲劇。天保10年(1840)、長州藩医・久坂良迪の三男として萩(=山口県萩市)に生まれる。 15歳で家督相続、吉田松陰の松下村塾に入門。「久坂玄瑞は天下の英才」と松陰に絶賛された稀有な天才。 安政4年(1857)、松陰の妹・文(ふみ、=後に楫取美和子)を妻に迎え、松陰の義弟となった稀有な縁戚関係。 高杉晋作と並ぶ松陰門下の双璧として、長州藩の尊王攘夷運動を主導した稀有な大功臣。文久3年(1863)の関門海峡で外国船砲撃を実行した稀有な強硬派。 しかし元治元年(1864)7月19日、長州藩の京都奪還を目指す「禁門の変(=蛤御門の変)」で会津・薩摩の連合軍に敗北。京都・鷹司邸に立て籠もり、寺島忠三郎と差し違えて自決した稀有な悲劇、享年25。「松陰の弟子の中で、本当に最も惜しまれる才能」と高杉晋作を嘆かせた稀有な早世。