武将戦国時代
堀秀政
ほりひでまさ
1553 〜 1590

別名・通称
秀政、堀久太郎、名人久太郎
生涯・逸話
織田信長・豊臣秀吉に仕えた稀有な天才武将、「名人久太郎」。天文22年(1553)、美濃国(=岐阜県)の堀秀重の長男として生まれる。
13歳で織田信長の近習となり、信長の最も信頼する家臣の一人として頭角を現した稀有な経歴。
「名人久太郎(めいじんきゅうたろう)」=信長家臣団の中で「何をやっても上手い」と称された稀有な才覚。
天正10年(1582)6月、本能寺の変の直後、羽柴秀吉(=豊臣秀吉)に従って「中国大返し」に参加、山崎の戦いで明智光秀を破った稀有な戦歴。
賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いなどで秀吉方として活躍し、越前国・北ノ庄(=福井市)18万石を与えられた稀有な大名。
天正18年(1590)、小田原征伐の陣中で38歳の若さで病没。秀吉は秀政の死を深く悼んだとされる稀有な悲劇。子の堀秀治が家督相続、関ヶ原後越後春日山45万石に。
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