武将戦国時代
堀秀政
ほりひでまさ
1553 〜 1590

別名・通称
秀政、堀久太郎
生涯・逸話
織田信長のそばに仕え、のちに豊臣秀吉のもとで北陸(ほくりく)の守りを担った武将です。
【生い立ち】
天文22年(1553)、美濃国(みののくに、岐阜県)に生まれました。父は堀秀重(ほりひでしげ)で、堀家は代々、美濃の斎藤氏に仕えた家柄でした。
【信長から秀吉へ】
若いころから織田信長に仕えました。天正10年(1582)、秀吉の中国攻めに従い、備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)の攻めにも加わっています。
同じ年、本能寺の変(ほんのうじのへん)で信長が倒れると、羽柴秀吉に従い、山崎の戦いで明智光秀(あけちみつひで)を破る戦いに参加しました。以後は秀吉の家臣として働きます。
賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい、1583)では功をあげたとされます。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いにも秀吉方として加わりました。のちの九州攻めにも従っています。
【領地】
近江(おうみ)の長浜城や佐和山城(さわやまじょう、9万石)を任されたのち、越前国(えちぜんのくに)北ノ庄(福井市)18万石余の大名となりました。加賀の前田氏とともに、北陸の要となる地を押さえたといわれます。
【最期】
天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めに加わり、5月27日、陣中で病気のため亡くなりました。享年は数え年で38です。墓所は福井市の長福寺にあります。
子の堀秀治(ひではる)は、慶長3年(1598)に越後(えちご)春日山へ移りました。
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