TabiShiri
寺 御朱印曹洞宗・秩父三十四観音第7番 横瀬町

法長寺

ほうちょうじ

別名:青苔山(せいたいさん)

この寺について
天文2年(1533)、凉堂寒清大和尚(りょうどうかんせいだいおしょう)を開山として開かれた曹洞宗の寺院。秩父三十四観音霊場の第7番札所で、本尊は十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)。本堂は間口24.4メートル・奥行18メートルという秩父札所随一の大伽藍で、江戸時代の発明家・平賀源内(ひらがげんない)の原図により設計されたと伝わる。

歴史・由来

法長寺(ほうちょうじ)を理解する鍵は、山号にもなっている「牛伏(うしぶせ)」という地名に込められた、悲しい伝説にある。 伝承によれば、平将門(たいらのまさかど)の乱(承平・天慶の乱、935年ごろ〜940年)のころ、花薗(はなぞの)の城主に仕えていた武士が乱に加わって敗れ、山中に逃れて亡くなった。妻は夫の死を嘆いていたが、やがて夫が「悪心の報いで牛になった」と夢に現れ、母子で出家して観音を供養すれば救われると告げたと伝わる。妻はこの言葉に従って尼となり、観音の化身である牛の導きを受けた牛飼いが、十一面観世音菩薩(行基〈ぎょうき〉の作と伝わる)を祀る堂を建てたのが「牛伏堂(うしぶせどう)」の始まりとされる。この奇跡から「牛伏」という地名が生まれたという。 一方、法長寺そのものは、天文2年(1533)に凉堂寒清大和尚(慶長11年〈1606〉没)を開山として、内田家(北条氏邦〈ほうじょううじくに〉に関わりのある家系)を開基に開かれた曹洞宗の寺院である。牛伏堂は法長寺とは別の場所にあったが、天明2年(1782)の火災で焼失し、本尊の十一面観世音菩薩は法長寺本堂へ遷され、以来ここに合わせ祀られるようになった。これが、秩父三十四観音霊場第7番の札所が「牛伏堂」ではなく「法長寺」になっている理由である。 現在の本堂は、間口24.4メートル、奥行18メートルという秩父札所随一の大伽藍で、堂内に観音堂を含むという珍しい造りになっている。その設計は、江戸時代の博物学者・発明家として知られる平賀源内の原図によるものと伝えられている。

見どころ・特徴

【秩父札所随一の大伽藍】 本堂は間口24.4メートル、奥行18メートルという秩父三十四観音霊場のなかでも最大規模の建物で、堂内に観音堂を含む珍しい造りになっている。極彩色の彫刻欄間(らんま)や、花や鳥が描かれた格天井(ごうてんじょう)など、装飾も見応えがある。 【平賀源内(ひらがげんない)ゆかりの本堂】 本堂の設計は、エレキテルの復元などで知られる江戸時代の博物学者・発明家、平賀源内の原図によるものと伝えられている。源内は秩父地方で鉱山開発にたずさわったことがあり、その縁がこの伝承の背景にあるとされる。 【牛伏堂(うしぶせどう)の伝説】 「牛伏」という地名は、乱で亡くなった武士が牛の姿になって現れ、その妻を導いたという伝説にちなむ。もとは別の場所にあった観音堂だが、天明2年(1782)の火災で焼失し、本尊の十一面観世音菩薩がこの本堂へ遷されて今に伝わる。 【訪ねかた】 境内は平坦で歩きやすく、駐車場も用意されている。武甲山(ぶこうさん)を望む静かな立地で、秩父三十四観音霊場めぐりの一か所として立ち寄る人が多い。
学び・特徴
主祭神
十一面観世音菩薩
社格
曹洞宗・秩父三十四観音第7番
創建
天文2年(1533)
ご利益
健康・病気平癒厄除け
テーマ
パワースポット歴史
この場所を巡る軸
基本情報
住所
埼玉県横瀬町横瀬1508
参拝時間
3月から10月は8時から17時まで。11月から2月は8時から16時まで。正午から12時30分は昼休みのため受付を休止する。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
西武秩父線「横瀬」駅から徒歩約15〜20分(情報源により差があります)。西武観光バスで「横瀬橋」下車、徒歩約3分。駐車場あり(普通車25台程度)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

記録を確認中...