TabiShiri
城 御城印日本100名城 No.23/国指定史跡(小田原城跡) 小田原市

小田原城

おだわらじょう

神奈川県・小田原市の城「小田原城」

Akonnchiroll, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

この城について
相模国の中枢を占めた関東屈指の巨大城郭。 15世紀に大森氏が築いた山城を礎に、戦国期は北条氏5代にわたる本拠として関東経営の中心を担った。 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で開城するまで、上杉謙信・武田信玄という戦国最強クラスの武将の攻めを退けた稀有な不落の城として名高い。 江戸期は大久保氏を筆頭に譜代大名の居城となり、東海道の要衝を守った。 天守閣からは相模湾から箱根連山までを一望でき、御城印巡りでも屈指の人気を誇る。

歴史・由来

築城は応永年間(1394〜1428)頃、この地の国人・大森氏によるとされる。当初は八幡山を中心とする山城であった。 明応4年(1495)頃、伊豆から進出した北条早雲が奇襲によって大森藤頼を追放し小田原城を奪取。以後、氏綱・氏康・氏政・氏直と北条氏5代・約100年にわたる本拠地となる。 北条氏康の代、永禄4年(1561)には上杉謙信率いる関東連合軍11万、永禄12年(1569)には武田信玄率いる2万の軍勢に囲まれたが、いずれも小田原城は落ちなかった。この「小田原城は落ちない」という不落神話が確立した。 天正15年(1587)頃から、豊臣秀吉との対決に備えて城下町全体を土塁と堀で囲む総構(そうがまえ)の大工事に着手。周囲9kmに及ぶ日本最大級の惣構が完成した。 天正18年(1590)、豊臣秀吉が20万を超える大軍で小田原城を包囲(小田原征伐)。 秀吉は正面から攻めず、石垣山城を一夜で築くパフォーマンスと兵糧攻めで北条方の戦意を挫いた。 3ヶ月の籠城の末、北条氏政・氏直父子は開城を決意。 氏政・氏照は切腹、氏直は高野山に追放され、戦国大名としての北条氏は滅亡した。 戦後は徳川家康の関東入部に伴い、家康の重臣・大久保忠世が入城。 以後、大久保氏を中心に譜代大名の居城として近世城郭に改修された。 稲葉氏の時代(寛永9年〜貞享3年)に本丸・二の丸・天守が石垣造りに整えられ、現在見られる縄張の原型が完成した。 元禄16年(1703)の元禄地震、大正12年(1923)の関東大震災で天守以下が壊滅。 明治3年(1870)に廃城とされていたが、昭和35年(1960)に市民の要望で天守閣が鉄筋コンクリート造で復興、平成の時代に常盤木門・銅門・馬出門も伝統工法で復元された。

見どころ・特徴

【天守閣】昭和35年(1960)復興の三重四階の天守。最上階の展望室からは相模湾・伊豆大島・房総半島・箱根連山までを一望。内部は歴史資料館で、北条5代の甲冑・古文書・小田原征伐関連資料を展示。 【銅門(あかがねもん)】平成9年復元、二の丸の正門。扉の飾り金具に銅を用いたことが名の由来。伝統工法・国産木材による本格復元で、内部見学もできる。 【常盤木門】本丸の正門にあたる枡形門。松の巨木が近くに立ち、四季を通じて美しい景観をつくる。 【馬出門】平成21年復元。三の丸から二の丸へ通じる要所で、枡形と土橋の防御構造が見どころ。 【総構(そうがまえ)】豊臣秀吉に備えて築かれた周囲9kmに及ぶ土塁と堀。小峯御鐘ノ台大堀切など城の外周部に遺構が残り、戦国期の巨大城郭の実像を体感できる。 【御城印】小田原城天守閣入場券売り場で販売。北条家家紋「三つ鱗」入りの黒地デザインが人気。季節限定版も豊富。 【アクセス】JR小田原駅から徒歩約10分。東京駅から新幹線こだまで約35分、東海道線でも約1時間半。城址公園全体は入場無料で、天守閣・常盤木門・SAMURAI館は共通入場券あり。
学び・特徴
社格
日本100名城 No.23/国指定史跡(小田原城跡)
創建
応永年間(1394〜1428)頃、大森氏
基本情報
住所
神奈川県小田原市城内6-1
アクセス
JR・小田急他「小田原駅」より徒歩約10分
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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