この寺について
天台寺門宗の総本山。正式名は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」。天智天皇が本尊・弥勒菩薩像を安置する寺の建立を志したが生前には実現できず、孫の大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が父・弘文天皇の菩提を弔うために建立し、天武天皇が朱鳥元年(686年)に「園城寺」の寺号を与えたと伝わる。近江八景「三井の晩鐘」で知られ、宝物館には多くの国宝・重要文化財を所蔵する。西国三十三所第14番札所。
歴史・由来
正式名は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」、通称「三井寺」。西国三十三所第十四番札所、天台寺門宗の総本山。
この寺を理解する鍵は、三代にわたる皇族の思いが積み重なって生まれた由緒にある。天智天皇は、自ら日ごろ身近に安置していた弥勒菩薩像を本尊とする寺を建てたいと願っていたが、生前にその願いを果たすことはできなかった。天智天皇の子・弘文天皇(大友皇子)は、壬申の乱(672年)に敗れて世を去る。その子である大友与多王(おおとものよたのおおきみ)は、父の菩提を弔うため、祖父・天智天皇の弥勒菩薩像を本尊として、ついにこの寺を建立した。かつて敵対していた天武天皇はこの志に感じ入り、朱鳥元年(686年)に正式な建立を許し、「園城寺」の寺号を与えたと伝わる。「園城」の名は、大友与多王が自らの荘園や邑(むら)を投げ打って寺を建てた志にちなむという。
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)は、平安時代に天台座主の地位をめぐって延暦寺と対立し、独立した宗派である。延暦寺(山門派)と園城寺(寺門派)の対立は、平安・鎌倉時代を通じて続き、たびたび武力衝突に発展した、日本仏教史上の大きな出来事だった。
「三井(みい)」の通称は、境内に湧く霊泉が、天智・天武・持統の三代の天皇の産湯(うぶゆ)として使われたと伝わることから「御井(みい)の寺」と呼ばれ、それが転じたものとされる。この泉は現在も閼伽井屋(あかいや)に大切に保存されている。
平安・鎌倉・室町の各時代を通じて、園城寺は延暦寺との争いなどでたびたび焼失と再建を繰り返してきた。現存する金堂は、豊臣秀吉の遺志を受けて正室・高台院(北政所、ねね)が慶長4年(1599年)に寄進し、翌慶長5年(1600年)に完成したもの。このほか五重塔・観音堂など、数多くの重要文化財・国宝を今に伝えている。
見どころ・特徴
大津市の北、琵琶湖の西岸の山麓に位置する。
「金堂」(国宝)は本堂にあたる建物。豊臣秀吉の正室・高台院(北政所、ねね)が慶長4年(1599年)に寄進し、翌年完成した。
「弁慶の引き摺り鐘」(重要文化財)は、奈良時代に鋳造されたと伝わる梵鐘。延暦寺との争いの中で武蔵坊弁慶が奪い取り、比叡山まで引き摺って持ち去ったとされる伝説が残り、文永4年(1267年)に三井寺へ戻されたという。鐘の表面には、この伝承を物語る擦り傷が今も残る。
「観音堂」は、西国三十三所第十四番札所の本堂。本尊・如意輪観音像を安置する。
「三井の晩鐘」は、慶長7年(1602年)に鋳造された鐘で、近江八景の一つに数えられる。「姿の平等院、声の三井寺、銘の神護寺」と並び称される「日本三名鐘」の一つで、美しい響きで知られる。
「桜の名所」としても知られ、4月上旬には境内一面にソメイヨシノが咲き誇る、滋賀県を代表する花見の名所になっている。
参拝の後は、琵琶湖や大津市内の名所と組み合わせて訪ねると、近江の歴史と自然をあわせて楽しめる。
学び・特徴
主祭神
弥勒菩薩
社格
天台寺門宗総本山。西国三十三所第14番札所。正式名は長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)。
創建
天智天皇が本尊・弥勒菩薩像を安置する寺の建立を志したが生前には実現できず、孫の大友与多王が父・弘文天皇の菩提を弔うために建立。天武天皇が朱鳥元年(686年)に「園城寺」の寺号を与えたと伝わる。
ご利益
縁結び厄除け学業・合格
テーマ
桜紅葉
この場所を巡る軸
基本情報
住所
滋賀県大津市園城寺町246
参拝時間
拝観時間は9時から16時30分までで、受付終了は16時です。年中無休で拝観できます。拝観料は大人800円、中高生500円、小学生300円です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
京阪石山坂本線「三井寺」駅から徒歩約10分です。
駐車場もあり、普通車600円、中型車2000円、大型車3000円です(台数は公開されていません)。料金は変更されることがあるため、事前に公式サイトでご確認ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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