この史跡について
江戸時代なかごろの学者で、エレキテルや寒暖計を発明した人物として知られる平賀源内(ひらがげんない)の墓です。国の史跡に指定されています。
橋場にあった総泉寺の墓地に葬られました。総泉寺が引っ越したあとも、源内の墓だけは、この場所に大切に残されました。
歴史・由来
ここは、江戸きっての多才な人物が眠る場所です。
平賀源内は、享保13年(1728)に讃岐国(さぬきのくに、今の香川県)の志度浦(しどのうら)で、高松藩士の子として生まれました。藩の薬園(やくえん)の係をつとめたあと、長崎で本草学(ほんぞうがく、薬になる草木などを調べる学問)とオランダ語を学び、宝暦6年(1756)に江戸へ出ました。エレキテル(摩擦起電機)や寒暖計を発明した科学者としても、戯作者(げさくしゃ、読み物を書く人)としても知られます。
安永8年(1779)11月に、人を傷つける事件を起こし、12月18日に小伝馬町(こでんまちょう)の牢の中で亡くなりました。死因については、獄死とも病死とも書かれています。
遺体は橋場の総泉寺に葬られました。総泉寺は昭和3年(1928)に板橋区の小豆沢へ移りましたが、源内の墓は、もとの場所に保存されました。
墓は、昭和4年(1929)に東京府の史蹟として仮に指定され、昭和18年(1943)に国の史跡に指定されました。
見どころ・特徴
【笠塔状(かさとうじょう)の墓】
角柱に笠をのせた形の墓で、上段の角石には、亡くなった日付と戒名(かいみょう、仏門に入った人の名)の「智見霊雄居士」、そして「平賀源内墓」と刻まれています。
【築地塀(ついじべい)風の塀】
墓所は、築地塀のような塀に囲まれています。昭和6年(1931)に旧高松藩の松平家当主が整備したと紹介されています。
【従僕福助の墓】
墓の後ろには、源内に仕えた福助の墓があります。右手には、顕彰会が建てた記念碑も立っています。
【周辺を歩く】
同じ橋場2丁目には、橋場寺不動院があります。お化け地蔵のある松吟寺や妙亀塚と合わせると、総泉寺があったころの橋場を想像しながら歩けます。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和18年指定)。
成立・年代
墓は、安永8年(1779)に亡くなった平賀源内を葬ったもの。昭和4年(1929)に東京府の史蹟として仮指定、昭和18年(1943)に国の史跡に指定。
テーマ
史跡江戸発明・ものづくり
基本情報
住所
東京都台東区橋場2-22-2
見学時間
見学は無料です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
南千住駅(JR常磐線)から都営バスで「橋場2丁目」下車、徒歩約3分とされます。墓所は路地を一本入った奥にあります。
訪問記録
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