この寺について
知多半島(ちたはんとう)の先、美浜町にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。正式には鶴林山(かくりんざん)大御堂寺(おおみどうじ)といい、「野間大坊」は通称である。源頼朝(みなもとのよりとも)の父・源義朝(よしとも)が家臣の裏切りによって討たれた場所として知られ、境内には義朝の墓がある。「せめて木太刀(きだち)の一本でもあれば」という義朝の最期の言葉にちなみ、墓には今も木太刀が絶えず奉納される。頼朝が父の菩提を弔うため伽藍(がらん)を整え、のちに豊臣秀吉・徳川家康の庇護も受けた。知多四国八十八ヶ所霊場の第50番・第51番札所。
歴史・由来
【この寺を理解する鍵】
野間大坊を訪ねると、境内の一角に小さな墓があり、そのまわりに木の刀が山のように積まれている。観光地の飾りでも土産物でもない。参拝した人が一本ずつ奉納していったものである。ここは、武器を持たないまま討たれた武将の無念を、八百年以上にわたって人々が弔い続けてきた場所なのだ。
【寺の始まり】
寺の伝えによれば、始まりは天武天皇の時代(673年から686年)にさかのぼり、当初は「阿弥陀寺」と称したという。のちに弘法大師(こうぼうだいし、空海)がこの地を訪れ、一千座の護摩(ごま)を焚いたとも伝わる。
承暦(じょうりゃく)年間(1077年から1081年)には白河天皇が皇室の繁栄を祈る寺となり、このとき「大御堂寺(おおみどうじ)」と称するようになったとされる。ただしこれらはいずれも寺伝で、史料で確かめられたものではない。
【源義朝の最期】
この寺の名を歴史に刻んだのは、平治元年(1159年)の平治の乱である。平清盛に敗れた源義朝(みなもとのよしとも)は東国へ落ちのびる途中、知多半島の野間にたどり着いた。ここには家臣の長田忠致(おさだただむね)がいた。義朝は身を寄せたが、忠致・景致(かげむね)父子は平家からの恩賞を狙って主君を裏切る。
年が明けた正月、義朝は風呂に入っているところを襲われた。丸腰である。そのとき「我に木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだと伝えられる。この言葉が、今日まで続く木太刀奉納の由来になった。
【頼朝が整えた寺】
義朝の死後、荒れていた墓は平康頼(たいらのやすより)によって整えられたと伝わる。建久(けんきゅう)元年(1190年)、源頼朝は父の供養のため、開運延命地蔵尊と不動明王・毘沙門天(びしゃもんてん)を納め、七堂伽藍(しちどうがらん、寺の主な建物一式)を造営した。
その後も豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受けて発展した。
【境内に眠る人々】
境内には義朝のほかにも、時代の敗者たちが眠っている。義朝と最期をともにした家臣・鎌田政清(かまだまさきよ)夫妻の墓、義朝の墓を整えた平康頼の墓。そして織田信長の三男・織田信孝(のぶたか)の墓。信孝は豊臣秀吉との争いに敗れ、この地で自害した。
裏切りと敗北の記憶が、ひとつの境内に重なっている。そのことに気づくと、木太刀の山の意味がいっそう深く感じられるはずである。
見どころ・特徴
【源義朝の墓と木太刀】境内の奥にある義朝の墓。「木太刀の一本でもあれば」という最期の言葉にちなみ、参拝者が木太刀を奉納する。願いごとを書いて納める人も多く、墓のまわりは木の刀で埋め尽くされている。
【血の池】討たれた義朝の首を洗ったと伝えられる池。国に大きな出来事が起こるとき、水が赤く染まるという言い伝えがある。
【梵鐘】鐘楼堂に吊るされた鐘は建長(けんちょう)2年(1250年)の銘を持ち、鎌倉幕府の5代将軍・藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)が寄進したもの。尾張地方で最も古い梵鐘とされ、国の重要文化財に指定されている。
【大門】建久元年(1190年)に源頼朝が建てたと伝わる門。参道の入口に立つ。
【本堂】宝暦(ほうれき)4年(1754年)に鎌倉時代の様式にならって建て直された、寺の中心となるお堂。美浜町の指定文化財。知多四国八十八ヶ所霊場の第50番「大御堂寺」にあたる。
【客殿】豊臣秀吉が晩年に住んだ伏見城の一部を、寛永(かんえい)年間(1624年から1643年)に移したと伝わる建物で、愛知県の指定文化財。知多四国の第51番「野間大坊」はこの客殿で、本尊は頼朝が納めた開運延命地蔵尊。
【悠紀殿】昭和天皇の即位の礼のときに京都御所の中に建てられた建物の一部を、寺が譲り受けたもの。悠紀殿(ゆきでん)と呼ばれる。
【織田信孝の墓】織田信長の三男・信孝の墓。豊臣秀吉との争いに敗れ、この地で自害した。義朝から四百年あとの、もうひとつの敗者の記憶である。
【絵解き】絵を使って寺の歴史を語る「絵解き」が受け継がれている。所要時間は約20分。申し込み方法は公式サイトで確認を。
【訪ねかた】境内は広く、義朝の墓・血の池・大門・鐘楼堂と見るものが点在している。ゆっくり歩いて1時間ほど見ておくとよい。本堂に上がって参拝する場合は別に拝観料が必要になる。
作品ゆかり
義朝の最期は、鎌倉時代の軍記物語『平治物語(へいじものがたり)』に描かれている。長田忠致父子の裏切りと、湯殿での無念の最期が語られる。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来開運延命地蔵尊
社格
真言宗豊山派/知多四国八十八ヶ所霊場 第50番札所(大御堂寺・本堂)・第51番札所(野間大坊・客殿)
創建
寺伝では天武天皇の時代(673年から686年)の創建。当初は阿弥陀寺と称し、承暦年間(1077年から1081年)に白河天皇の勅願寺となって大御堂寺と改めたと伝わる。建久元年(1190年)に源頼朝が七堂伽藍を整備した。
ご利益
厄除け開運招福
テーマ
霊場・巡礼源氏ゆかり重要文化財
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
愛知県知多郡美浜町野間東畠50
参拝時間
境内の参拝は自由。拝観料は無料。
本堂に上がって参拝する場合は500円。
本堂 3月から9月:6時から18時まで
本堂 10月から2月:7時から17時まで
納経所(御朱印):7時から17時まで
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】名鉄知多新線「野間駅」から徒歩約13分。
【車】南知多道路「美浜インターチェンジ」から約5キロ、約15分。
【駐車場】無料。東・正面・西の3か所あわせて約300台。大型バスは東駐車場か正面駐車場へ。周辺の道が狭いため、県道277号を通る順路で入るよう案内されている。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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