この寺について
大阪府河南町にある真言宗醍醐派の準別格本山。社伝によれば天智天皇4年(665年)、役行者(えんのぎょうじゃ)の創建と伝わる。新西国三十三観音霊場第27番、西国四十九薬師霊場第13番の札所でもある。何より知られるのは、「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と詠んだ歌人・西行法師(さいぎょうほうし)が、文治6年(1190年)2月16日、まさに願い通りの桜の季節にこの寺で入寂したことである。境内には西行を弔う西行塚や、資料を展示する西行記念館があり、今も歌人ファンが訪れる聖地となっている。
歴史・由来
弘川寺を理解する鍵は、「役行者が開いた山寺」と「西行法師が生涯を終えた地」という、二つの顔を持つことにある。
社伝によれば、天智天皇4年(665年)、修験道(しゅげんどう)の祖として知られる役行者(役小角〈えんのおづぬ〉)がこの地に寺を開き、自ら薬師如来像を刻んで本尊としたと伝わる。その後、天武天皇の代に勅願寺(ちょくがんじ、天皇の祈願のために建てられた寺)となったと伝えられ(一説に白鳳5年〈677年〉、「龍池山弘川寺」の寺号を賜ったという)、奈良時代には行基(ぎょうき)も、平安時代には弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい、一説に弘仁3年〈812年〉)も、この寺で修行し中興に関わったと伝えられている。鎌倉時代初期、文治4年(1188年)には空寂(くうじゃく)上人が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇が回復したという逸話も残る。
弘川寺の名を広く知らしめているのは、歌人・西行法師(1118年‐1190年)である。「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と詠み、桜の下で死にたいと願った西行は、当時の住職・空寂上人を慕ってこの寺を訪れ、文治6年(1190年)2月16日、まさに願い通り桜の季節にこの地で入寂した。その最期の様子は、後世の人々に「歌に詠んだ通りの死を遂げた歌人」として語り継がれることになる。
戦国時代の寛正4年(1463年)には、河内守護・畠山政長(はたけやままさなが)がこの寺に本陣を置いたことで戦火に巻き込まれ、隣の善成寺(ぜんじょうじ)ともども伽藍を焼失する被害も受けている。
見どころ・特徴
【西行塚】本堂脇の高台にある西行法師の墓所。両脇に燈籠が置かれ、周囲には西行を弔うために植えられた山桜が茂る。
【西行記念館】西行法師にまつわる書籍や資料、西行像などを展示する記念館。春季(3月下旬~5月中旬)と秋季(10月中旬~12月上旬)の期間限定で開館する。
【海棠(かいどう)】本坊庭園にある樹齢350年を超えるバラ科の花木で、大阪府指定天然記念物。
【木造空寂上人坐像・木造弘法大師坐像】ともに室町時代の作で大阪府指定有形文化財。空寂上人は西行が慕ってこの寺を訪れたときの住職と伝わる。
【訪ねかた】西行記念館は開館期間が春・秋に限られるため、西行ゆかりの資料をじっくり見たい人は開館時期に合わせて訪れるのがおすすめです。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
薬師如来(本尊、役行者〈役小角〉の自作と伝わる)
社格
真言宗醍醐派 準別格本山。新西国三十三所観音霊場第27番、西国四十九薬師霊場第13番の札所。
創建
天智天皇4年(665年)、役行者(役小角)による創建と伝わる。「白雉3年」と紹介されることがあるが、白雉3年は652年に当たり665年とは一致しないため、年号の対応を訂正した。
テーマ
桜
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
大阪府南河内郡河南町弘川43
参拝時間
本坊庭園・西行記念館は10時から17時まで。拝観料は大人500円・小人200円(団体20人以上は大人400円・小人100円)。西行記念館は春季・秋季の開館期間のみの公開です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車・バス】近鉄長野線 富田林駅からコミュニティバスで約25分から27分(「河内」バス停下車、徒歩約200メートル)。
【車】大阪外環状線 新家交差点から国道309号へ入り、佐備神山交差点を左折して河内方面へ進む。
【駐車場】無料駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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