この城について
武田信玄の信濃支配の要城。天正10年(1582)、織田信長の信濃侵攻で武田勝頼の弟・仁科盛信(にしなもりのぶ)が3,000で5万の織田軍に立ち向かった壮絶な落城の地。「天下第一の桜」コヒガンザクラの絶景で知られる。
歴史・由来
武田信玄の信濃支配の要城。築城時期は不詳だが、戦国期、高遠頼継(たかとおよりつぐ)が居城としていたところ、天文14年(1545)、武田信玄が攻略。以後、武田信玄の領国支配の南信濃の拠点となった。
天正10年(1582)、織田信長の信濃侵攻で、武田勝頼の弟・仁科盛信(にしなもりのぶ)が城主として籠城。織田信忠率いる5万の大軍を、わずか3,000の城兵で迎え撃ち、一日にして玉砕した。仁科盛信の壮絶な討死は、武田氏滅亡の象徴的場面として「信長公記」にも記される。
武田氏滅亡後、織田・徳川・豊臣の支配を経て、慶長5年(1600)、関ヶ原以後、徳川家の譜代大名が入城。江戸期は鳥居・保科・内藤と城主が変遷し、明治の廃城令まで内藤氏8代の居城となった。
保科正之(ほしなまさゆき、徳川秀忠の庶子、後の会津藩祖)が、寛永8年(1631)〜寛永20年(1643)に高遠藩主だった縁で、保科時代の遺構も残る。
明治の廃城令で建造物は解体されたが、桜が植えられ、明治末期から「天下第一の桜」として全国的に知られるようになった。
見どころ・特徴
JR飯田線「伊那市」駅からバス約25分、または車で長野道「伊那IC」から約30分。伊那市高遠町、山深い盆地の中に位置する。
桜の名所として日本屈指。約1,500本の「タカトオコヒガンザクラ」が咲き誇る、世界に類を見ない品種固有の桜林。一般のソメイヨシノより小ぶりで濃いピンク色の花が、見る者を圧倒する。
「天下第一の桜」と称される名声は、明治末期に高遠町出身の植物学者・三好学(みよしまなぶ、博士)が「天下第一」と讃えたことに由来する。4月中旬の桜まつりには全国から数十万人が訪れる。
「高遠城址公園」内には、藩主邸跡・天守台・空堀など、城郭遺構が点在。
「高遠町歴史博物館」では、武田氏・保科氏・内藤氏の歴史、桜の歴史、地元伝統文化を学べる。
近隣には「伊那市創造館」「進徳館」(藩校)などがあり、信州伊那の文化を一日で堪能できる。
桜以外の季節は観光客が少なく、静かな山城探訪が楽しめる。
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
長野県伊那市高遠町東高遠2074
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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