この神社について
【概要】
東京都新宿区にある、新宿の総鎮守(そうちんじゅ)です。ビルに囲まれた街なかに、鎮守の森が残っています。
創建の年ははっきりしませんが、徳川家康が江戸に入る1590年より前から、この地にまつられていたと伝わります。もとは稲荷(いなり)の神社で、江戸時代に尾張藩の屋敷の庭だった場所に移り、その花園(はなぞの)にちなんで「花園」の名がつきました。
毎年11月の酉の市(とりのいち)は、関東三大酉の市の一つです。芸能の神さまをまつる芸能浅間神社(げいのうせんげんじんじゃ)や、昭和のアングラ演劇の紅テント公演の舞台になったことでも知られます。
歴史・由来
花園神社を理解する鍵は、「宿場町・新宿とともに歩んだ鎮守」という姿にあります。
創建の年は分かっていませんが、徳川家康が江戸に入った天正18年(1590年)より前から、すでにまつられていたと伝わります。大和国(今の奈良県)の吉野山から、稲荷の神さまを迎えたとされます。
江戸時代の前期、神社は今の場所の約250メートル南(今の伊勢丹のあたり)にありました。しかし、その土地が屋敷地になったため、氏子(うじこ)たちの願いで、尾張藩下屋敷の庭の一部をあたえられて移りました。庭に花が咲いていたことから、「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったとされます。
内藤新宿(ないとうしんじゅく)が開かれると、その鎮守として人々に敬われました。明治時代に村社となり、大正5年(1916年)に「花園稲荷神社」と改称しました。昭和3年(1928年)には雷電稲荷神社(受持神)をあわせまつり、郷社に昇格しました。
昭和20年(1945年)の空襲で社殿を失い、昭和40年(1965年)に、今の鉄筋コンクリート造りの本殿が建てられました。このとき、大鳥神社(日本武尊)をあわせまつり、社名を「花園神社」に改めました。
昭和42年(1967年)には、唐十郎(から じゅうろう)が率いる劇団「状況劇場」が、境内に紅テントを立てて公演を行いました。今も境内では、劇団の催しや見世物小屋の興行が行われています。
見どころ・特徴
【新宿の総鎮守の森】
ビルに囲まれた街なかに、鎮守の森が広がっています。境内には桜の木もあり、街なかの小さな憩いの場になっています。
【朱色の本殿】
本殿は昭和40年(1965年)に建てられた鉄筋コンクリート造りで、朱色に塗られています。本殿には、花園神社、大鳥神社、雷電神社の三つの社名の額がかかっています。
【芸能浅間神社】
芸能の神さまとして知られ、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)をまつっています。芸能に関わる人たちから、たくさんの奉納が寄せられています。
【威徳稲荷神社】
境内の社の一つです。たくさんの鳥居が奉納されています。
【唐獅子(からじし)像】
文政4年(1821年)に造られた青銅の唐獅子像が、一対あります。新宿区の指定文化財です。
【演劇の舞台】
昭和42年(1967年)から、唐十郎の状況劇場が紅テントで公演を行いました。今も境内では、劇団の催しや見世物小屋が開かれます。
【御朱印】
御朱印は社務所でいただけます。
年中行事・お祭り
【例大祭】例年5月下旬
神輿渡御(みこしとぎょ)が行われる、一年でいちばん大きなお祭りです。
【酉の市(とりのいち)】例年11月の酉の日
商売繁盛を願う熊手(くまで)を求める人でにぎわう、新宿の冬の風物詩です。関東三大酉の市の一つに数えられます。酉の日は年によって2回か3回あり、見世物小屋が出る年もあります。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
倉稲魂命日本武尊受持神
社格
旧郷社。新宿の総鎮守
創建
創建の年は不詳です。徳川家康が江戸に入る1590年より前から、新宿の地にまつられていたと伝わります。
ご利益
商売繁盛芸能上達
テーマ
祭り文化財
基本情報
住所
東京都新宿区新宿5-17-3
アクセス
東京メトロ丸ノ内線・副都心線、都営新宿線の「新宿三丁目駅」E2出口からすぐです。
JR「新宿駅」東口からは、徒歩で7分から10分ほどです。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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