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寺 御朱印日蓮宗霊跡本山(れいせきほんざん)。山号は長興山(ちょうこうざん)。 鎌倉市

妙本寺

みょうほんじ

別名:長興山妙本寺(ちょうこうざんみょうほんじ)

この寺について
妙本寺(みょうほんじ)は、神奈川県鎌倉市大町(おおまち)にある日蓮宗の霊跡本山(れいせきほんざん)。山号は長興山(ちょうこうざん)。鎌倉幕府の有力御家人だった比企能員(ひきよしかず)の屋敷跡に建つ、日蓮宗最古級の寺院のひとつ。文応元年(1260)、比企の乱で唯一生き延びた末子の比企大学三郎能本(ひきだいがくさぶろうよしもと)が、自らの屋敷を日蓮聖人に献上して開かれたと伝わる。広々とした境内には、鎌倉最大級の木造仏堂「祖師堂」や、朱塗りの「二天門」が残り、春の海棠(かいどう)や秋の紅葉でも知られる。

歴史・由来

妙本寺を理解する鍵は、鎌倉幕府草創期に滅ぼされた比企一族の悲劇と、その菩提を弔うために建てられた寺という成り立ちにある。 比企一族は、初代将軍・源頼朝の乳母(めのと)を務めた家柄で、当主の比企能員(ひきよしかず)は頼朝の側近として重く用いられていた。しかし建仁3年(1203)、2代将軍の後継をめぐる北条時政の謀略によって、一族は滅ぼされてしまう(比企の乱)。このとき、幼くして京都にいた能員の末子・比企大学三郎能本(ひきだいがくさぶろうよしもと)だけが難を逃れた。 長じた能本は、日蓮聖人の教えに深く感銘を受け、「一族の菩提を弔っていただけるのは、このお聖人しかいない」と決意し、鎌倉に戻って自らの屋敷を日蓮聖人に献上する。日蓮聖人はこれを受けて寺を開き、能本の両親に「長興」「妙本」の法号を授けて、寺の名を長興山妙本寺と定めたと伝わる。文応元年(1260)のことという。以来、比企一族の屋敷があった谷戸(やと)は「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、寺は日蓮宗の中でもゆかりの深い「霊跡本山」のひとつに数えられている。 境内には、比企一族の供養塔や、比企の乱で焼け落ちた屋敷の跡に残されたと伝わる「一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)」がある。一幡は比企能員の外孫で、乱に巻き込まれて命を落とした幼い若君である。

見どころ・特徴

境内の中心に建つ「祖師堂(そしどう)」は、天保年間(1830〜1844)に再建された鎌倉最大級の木造仏堂で、日蓮聖人・日朗(にちろう)・日輪(にちりん)を祀る。堂内の日蓮聖人像は、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)・池上本門寺(いけがみほんもんじ)の像とともに、一本の木から彫り出された「一木三体(いちぼくさんたい)」の像のひとつと伝わる。 祖師堂の手前に建つ「二天門(にてんもん)」も天保年間の建立で、朱塗りの門に施された龍の極彩色の彫刻が目を引く。持国天(じこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)が門を守っている。 境内奥の「蛇苦止堂(じゃくしどう)」は、比企の乱で井戸に身を投じたと伝わる若狭局(わかさのつぼね)を、蛇苦止大明神として祀るお堂。大きなイチョウの木があり、晩秋には見事な黄葉を見せる。 花の寺としても知られ、1月からロウバイ、2月は紅梅・白梅と水仙、春には桜と海棠(かいどう)が咲く。海棠は光則寺(こうそくじ)のものと並んで「鎌倉三大カイドウ」に数えられる。晩秋には二天門前のモミジや祖師堂まわりの紅葉も見事。 【訪ねかた】 境内は広々としていて、比企一族の歴史に思いをはせながら静かに歩ける。段差の少ない参道が多く、ゆっくり時間をかけて回りたい寺院。
作品ゆかり
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022年)にゆかりの地として紹介されている。妙本寺は比企一族の屋敷跡であり、ドラマに登場する比企能員(ひきよしかず)や、その娘とされる若狭局(わかさのつぼね)ゆかりの地として、放送に合わせて多くの参拝者が訪れた(撮影が行われた場所ではなく、史実の舞台として紹介されている)。
学び・特徴
主祭神
十界曼荼羅(じっかいまんだら)三宝祖師(さんぽうそし、祖師堂に安置)
社格
日蓮宗霊跡本山(れいせきほんざん)。山号は長興山(ちょうこうざん)。
創建
文応元年(1260)、比企大学三郎能本が、日蓮聖人に自らの屋敷を献上して開かれたと伝わる。
ご利益
厄除け家内安全
テーマ
パワースポット紅葉
基本情報
住所
神奈川県鎌倉市大町1-15-1
参拝時間
境内は自由に参拝できる。御朱印などを受け付ける寺務所の時間は10時から16時ごろまで。拝観料は志納(決まった金額はなく、気持ちの分だけを納める)。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR横須賀線・湘南新宿ライン「鎌倉」駅東口から徒歩8分から10分ほど。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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