この寺について
秩父三十四観音霊場の第12番札所で、山号は仏道山(ぶつどうざん)、臨済宗南禅寺派(りんざいしゅうなんぜんじは)のお寺です。西武秩父駅から歩いて行ける市街地にあり、黒い楼門(ろうもん)形式の山門と、そこに並ぶ十王像(じゅうおうぞう)が参拝者を迎えます。本尊の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)は高さ156センチの等身大の立像で、平安時代後期(藤原時代)の作とされます。境内は秩父市の史跡に指定されています。
歴史・由来
【二つの流れがひとつになった寺】
野坂寺を理解する鍵は、巡礼者がお参りした「観音堂」と、お坊さんが暮らす「禅寺」という、もともと別々だった二つが江戸時代にひとつになったことです。
【山賊と甲斐の商人の縁起】
寺に伝わる縁起(えんぎ:お寺の始まりの物語)では、甲斐国(かいのくに:今の山梨県)の絹商人が秩父の山道で山賊に襲われたとき、観音さまを念じると、身につけていたお守りから雷のような光が放たれ、山賊たちは目がくらんでしまったといいます。のちに商人と、改心して出家した山賊とが、観音像を安置するお堂を建てたと伝えられます。これが野坂堂(のさかどう)の始まりとされる物語です。
【札所としての野坂堂】
野坂堂は室町時代の秩父札所の番付にすでに名前が見え、当時は今とは違う5番の札所とされていました。古くから巡礼の人々が立ち寄る観音堂だったことがわかります。
【野坂寺との合併】
一方の野坂寺は、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』によると、天和2年(1682)に亡くなった僧を開山(かいさん:初代住職)とする禅寺でした。寛保元年(1741)、野坂寺の六世・仏海(ぶっかい)和尚が寺をこの地に移し、野坂堂と一体のお寺になりました。今の「札所12番 野坂寺」の姿はここから始まります。
【焼失と再建】
明治39年(1906)の火災で本堂が焼けましたが、山門は焼け残りました。本堂は昭和49年(1974)に焼失前の姿にならって再建されています。昭和40年(1965)には境内が秩父市の史跡に指定されました。
見どころ・特徴
【山門と十王像】黒塗りの重層入母屋造り(じゅうそういりもやづくり)の楼門で、江戸時代中期の建築です。左右には、死後の世界で人の行いを裁くとされる十王(じゅうおう)の像が並びます。
【本尊・聖観世音菩薩立像】一本の木から彫り出した一木造り(いちぼくづくり)で、高さ156センチの等身大。平安時代後期(藤原時代)の作とされます。
【本堂の天井画と龍の彫刻】本堂の天井には90枚の絵が描かれ、正面の唐破風(からはふ:弓なりに反った屋根飾り)の下には3頭の巻き龍の彫刻があります。
【境内の仏さまたち】十三仏、童顔の六地蔵(ろくじぞう)、牛の背に乗る珍しい十牛観音(じゅうぎゅうかんのん)など、表情豊かな仏像が境内のあちこちに並び、歩きながら一体ずつ出会う楽しみがあります。
【季節の花】4月は参道の桜、7月から9月は本堂裏の庭で蓮(はす)の花が見ごろを迎えます。
年中行事・お祭り
【灯籠供養(盆送り)】例年8月16日
お盆に迎えたご先祖さまを送る行事で、たくさんの灯籠を高さ約16メートルまで積み上げて供養します。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
聖観世音菩薩
社格
臨済宗南禅寺派・秩父三十四観音霊場第12番札所・境内は秩父市指定史跡
創建
創建年不詳。室町時代の札所番付に「野坂堂」の名が見え、寛保元年(1741)に野坂寺が現在地へ移って野坂堂と合わさった
ご利益
厄除け
テーマ
霊場・巡礼桜パワースポット
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
埼玉県秩父市野坂町2-12-25
参拝時間
納経(御朱印)の受付は8時から17時まで(11月から2月は16時まで)。時間は変更される場合があるため、お出かけ前にご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
西武秩父線「西武秩父」駅から徒歩約15分。秩父札所11番・常楽寺から徒歩約25分。
車の場合は無料駐車場あり。寺へ続く道が細いため大型バスは入れません(マイクロバスは可)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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