この寺について
京都市中京区、烏丸御池(からすまおいけ)のそばに建つ天台系単立の寺院。「六角堂」の名で親しまれ、聖徳太子(しょうとくたいし)の創建と伝わる。いけばな発祥の地としても知られる。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、「聖徳太子創建の伝承」と「町の中心として歩んできた実際の歴史」という、ふたつの顔を持つことにある。
伝承によれば、用明天皇2年(587年、ようめいてんのう)、四天王寺建立の用材を求めて京都盆地を訪れた聖徳太子が、念持仏(ねんじぶつ)としていた如意輪観音像を携えて池で身を清めたところ、像が動かなくなり「この地にとどまって人々を救いたい」と告げたため、六角形のお堂を建てて安置したのが始まりと伝わる。太子堂の西側には、太子が身を清めたと伝わる池の跡が今も残る。ただし昭和49年(1974年)からの発掘調査では飛鳥時代の遺構は見つかっておらず、実際の創建は平安時代後期、10世紀後半ごろではないかとも考えられている。
歴史の中でとくによく知られているのが、鎌倉時代初めの建仁元年(1201年)、29歳だった親鸞聖人(しんらんしょうにん)がこの六角堂で百日間の参籠(さんろう)をしたという出来事である。参籠95日目の明け方、夢の中で聖徳太子のお告げを受けた親鸞は、その導きに従って法然上人(ほうねんしょうにん)を訪ね、のちの浄土真宗(じょうどしんしゅう)につながる念仏の教えに出会ったと伝わる。
室町時代には、寛正2年(1461年)の飢饉のとき門前で炊き出しが行われた記録が残り、応仁の乱のあとは「下京(しもぎょう)の町堂(まちどう)」として、京都の町衆(まちしゅう)の暮らしに寄り添う存在になっていった。同じ室町時代、本堂のそばに住んで供花(くげ)を担った僧侶たちが花を生ける技を洗練させ、六角堂は「いけばな発祥の地」とも呼ばれるようになった。
見どころ・特徴
【へそ石】山門をくぐった右手にある六角形の石。六角堂が京都の中心とされたことにちなむと伝わる。平安京がつくられたとき、お堂の位置に道を通すため祈ったところお堂が少し北へ動き、もとの場所にこの石だけが残ったという言い伝えもある。
【縁結びの柳】平安時代のはじめ、嵯峨天皇(さがてんのう)が「六角堂の柳の下を見てみなさい」という観音様のお告げで妃を見つけたという言い伝えから、縁結びの柳として親しまれている。
【いけばな発祥の地】本堂のそばに住んだ僧侶たちが供花の技を磨き、華道家元池坊(いけのぼう)の源流になった。境内にはいけばな資料館もある。
【重要文化財の毘沙門天】毘沙門堂に安置される毘沙門天立像は国の重要文化財。本堂・拝堂・鐘楼も2019年(平成31年)3月に京都市指定有形文化財となっている。
【太子堂・親鸞堂】太子堂には2歳・16歳・騎馬姿という3体の聖徳太子像が、親鸞堂には親鸞聖人の百日参籠にちなむ像が安置されている。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
如意輪観音(にょいりんかんのん、本尊)毘沙門天(毘沙門堂安置、重要文化財)
社格
天台系単立(てんだいけいたんりゅう)の寺院。聖徳太子の持仏堂として建てられたのが始まりと伝わる。西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)第18番、洛陽三十三所観音霊場(らくようさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)第1番。「いけばな発祥の地」として知られ、華道家元池坊(いけのぼう)が住職を務める。京都の通称で呼ばれる寺院が集まる「通称寺の会(つうしょうじのかい)」にも属している。
創建
伝承では用明天皇2年(587年、ようめいてんのう)、聖徳太子の創建とされる。ただし発掘調査では飛鳥時代の遺構は見つかっておらず、実際の創建は平安時代後期、10世紀後半ごろという説が有力である。
ご利益
縁結び安産
テーマ
パワースポット歴史
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
参拝時間
開門は6時から17時まで。御朱印(納経)の受付は8時30分から17時まで。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
地下鉄烏丸線・東西線「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分。阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分。市バス・京都バス「烏丸三条」下車すぐ。境内に駐車場はなく、近くの有料駐車場を利用する。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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