この寺について
象潟(きさかた)の九十九島(くじゅうくしま)のほとりに建つ曹洞宗(そうとうしゅう)の寺です。平安時代に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開いたと伝わり、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で訪れ、句を詠んだ寺として知られています。境内からは、田んぼの中に小さな島々が点々と残る、国の天然記念物「象潟」の景色を眺めることができます。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、寺の前に広がる「象潟」という景色の移り変わりです。
【海に浮かぶ島々の寺】
寺伝によると、蚶満寺は仁寿3年(853)、慈覚大師円仁によって開かれたとされます。鎌倉時代の正嘉元年(1257)には、執権・北条時頼(ほうじょうときより)が北国をめぐった際に寺領を寄進し、寺を再興したと伝えられています。そのころの象潟は、海とつながる潟(かた。浅い湖)に大小の島が浮かぶ景勝地でした。
【天台宗から曹洞宗へ】
寺はもともと天台宗(てんだいしゅう)でしたが、天正15年(1587)に曹洞宗に改められました。江戸時代には曹洞宗の名刹(めいさつ)として栄えました。
【芭蕉が見た象潟】
元禄2年(1689)、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で象潟を訪れ、この寺にも立ち寄りました。芭蕉は、明るく笑っているような松島に対して、象潟は「憾む(うらむ)がごとし」、つまりどこかもの悲しく沈んだ美しさをもつ、と書き残しています。「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」の句もこのときに詠まれました。西施は中国の伝説的な美女で、雨にぬれるネムノキの花を、うれいを帯びた西施の姿に重ねています。
【地震で消えた潟と、景色を守った住職】
文化元年(1804)の象潟地震で土地が数メートルも盛り上がり、潟は干上がって陸地になってしまいました。干上がった土地を田んぼに開こうとする動きに対して、蚶満寺の住職・覚林(かくりん)は島々を残すべきだと訴え、文化9年(1812)に寺を閑院宮家(かんいんのみやけ)の祈願所としました。覚林は藩から処罰を受け、文政5年(1822)に亡くなったと伝えられています。今も田んぼの中に60ほどの島が残り、昭和9年(1934)に「象潟」として国の天然記念物に指定されました。
見どころ・特徴
【九十九島をのぞむ遊歩道】
境内から遊歩道が続き、田んぼの中に点在する九十九島の景色を楽しめます。田植えの季節には、水を張った田んぼに島々が浮かんで見え、かつて潟だったころの象潟の姿を思い描くことができます。
【山門と芭蕉句碑】
江戸時代に建てられた山門には、矢島藩主の生駒氏(いこまし)が寄進した仁王像が安置されています。山門はにかほ市の有形文化財、境内の芭蕉句碑は市の史跡に指定されています。
【蚶満寺の七不思議】
境内には、弘法投杉(こうぼうなげすぎ)、夜泣き椿、あがらずの沢、咲かずのツツジ、木登り地蔵、姿見の井戸、血脈授与の木(けちみゃくじゅよのき)という七不思議が伝わっています。めぐりながら探してみるのも楽しみのひとつです。
【春の桜】
春にはカワヅザクラが先に咲き、続いてエドヒガンが花を開きます。
学び・特徴
本尊
釈迦牟尼仏
宗派・寺格
曹洞宗。山号は皇宮山(こうぐうさん)
創建
仁寿3年(853)、慈覚大師円仁による開創と伝わる
テーマ
桜文学ゆかり文化財
基本情報
住所
秋田県にかほ市象潟町象潟島2
参拝時間
8時から17時まで(冬季は日没まで)。拝観料は大人300円。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR羽越本線「象潟駅」から徒歩約15分。羽後交通バス「蚶満寺前」下車すぐ。車の場合は日本海東北自動車道「金浦IC」から国道7号経由で約5分。駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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