この寺について
文化元年(1804)に江戸幕府がロシアの南下に備えて蝦夷地に建てた「蝦夷三官寺」のひとつで、天台宗の寺。有珠の善光寺、厚岸の国泰寺と並ぶ。
檀家を持たない官寺として幕府の禄米で維持され、蝦夷地で死んだ和人の葬祭とアイヌへの布教を担った。明治に一度廃寺となって再興し、移転を重ねたため創建期の建物はほとんど残らないが、開山から幕末に至る寺の記録16点が国の重要文化財に指定され、様似郷土館に寄託されている。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、信仰の求めからではなく国境の都合で建てられた寺だという点にある。
18世紀の終わり、ロシア船が蝦夷地の沿岸に現れるようになる。幕府は寛政11年(1799)に東蝦夷地を直轄地とし、享和2年(1802)には箱館奉行から寺院建立の申し出が上がった。文化元年(1804)、幕府はシャマニ(様似)、ウス(有珠)、アッケシ(厚岸)の三か所に寺を建てることを決める。名目は蝦夷地で死んだ和人の葬祭とアイヌへの布教、実質は幕府の支配がここまで及んでいることを示す標だった。この三寺が蝦夷三官寺で、様似に置かれたのが天台宗の等澍院である。落成は文化3年(1806)、初代住職には秀暁が任じられた。
檀家のいない土地に建った寺だから、収入がない。幕府は年に百俵の禄米を与えて寺を支えた。裏を返せば、幕府が退けば寺は立ちゆかなくなる。明治維新で後ろ盾を失った等澍院は、明治18年(1885)にいったん廃寺となった。
再興されたのは明治の末である。その後も国道の建設などで境内の場所を移し、現在の本堂は近年の建築で、創建当時の姿はほとんど伝わっていない。
残ったのは紙の束だった。開山の秀暁の任命から十一世徳弁に至るまでの住職記、什物帳、過去帳。幕府や他寺とのやりとりを通して蝦夷地経営の実態を伝える史料として、平成17年(2005)に国の重要文化財に指定された。建物ではなく記録が残ったところに、この寺の来歴がよく出ている。
見どころ・特徴
【蝦夷三官寺等澍院関係資料】平成17年(2005)6月9日に国の重要文化財に指定された江戸時代の資料16点。住職記13冊、什物帳1冊、過去帳、百万遍念珠箱からなる。所有は等澍院だが、現物は様似郷土館に寄託され、そちらで見ることができる。開山から幕末までの住職の交替、幕府や他寺との交渉、蝦夷地での寺務の実際が読める史料群である。
【菊の御紋】幕府の官寺だった名残で、堂に菊の紋が掲げられている。三官寺をめぐる人にとっての目印になっている。
【本堂の仏像】聖観世音菩薩像と薬師如来三尊仏像が安置され、様似町の指定文化財とされる。前者は鎌倉時代、後者は江戸後期の作と推定されている。
【率直なところ】移転を重ねており、現在の本堂は新しい。境内を歩くだけなら10分ほどで終わる。この寺の中身は建物ではなく、様似郷土館にある古文書のほうにある。郷土館は入館無料で町なかにあるので、合わせて訪ねるのが筋の通った回り方になる。
学び・特徴
主祭神
薬師瑠璃光如来
社格
天台宗/蝦夷三官寺のひとつ/北海道遺産「蝦夷三官寺」(平成30年選定)
創建
文化元年(1804)に江戸幕府が建立を決定し、文化3年(1806)に落成。初代住職は秀暁。
ご利益
健康・病気平癒
基本情報
住所
北海道様似郡様似町潮見台11-4
参拝時間
境内は自由に入れます。9:00〜17:00、拝観無料、通年開放という情報がありますが、公式サイトがないため確定した案内ではありません。堂内の拝観を希望する場合は事前に電話(0146-36-2263)でご確認ください。 重要文化財の古文書は寺ではなく様似郷土館(様似町会所町1、0146-36-3335)に寄託されています。郷土館は10:00〜16:30、月曜と年末年始が休館、入館無料です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【鉄道】JR日高本線の鵡川〜様似は令和3年(2021)4月1日に廃止され、様似駅・西様似駅はありません。 【バス】苫小牧・静内方面からJR北海道バスの日勝線・特急とまも号で様似方面へ。旧西様似駅の付近から徒歩15分ほどの位置にあります。便数が限られるため、出発前に時刻を確認してください。 【車】札幌方面からは道央道・日高道を経て国道235号・236号・336号。様似町の中心部、本町2丁目付近の国道から山側に入ります。 【駐車場】あり(未舗装・無料)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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