この城について
水戸城は、江戸時代に徳川御三家(ごさんけ)のひとつ、水戸徳川家の居城だった城です。那珂川(なかがわ)と千波湖(せんばこ)にはさまれた台地に築かれ、石垣を使わず、土を盛った土塁(どるい)と堀で守る平山城(ひらやまじろ)でした。多くの建物は明治のはじめや戦災で失われましたが、いまも土塁と堀が残り、復元された大手門と二の丸角櫓、旧本丸の薬医門(やくいもん)を見ることができます。日本100名城のひとつです。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、台地の先端にあった小さな館が、持ち主を変えながら西へ広げられ、江戸時代に御三家の城になったことです。
【館から城へ】
平安時代の終わりから鎌倉時代の初めにかけて、馬場資幹(ばばすけもと)が台地の東の端に館(やかた)を築いたと伝わります。15世紀前半には江戸氏(えどし)が進出して水戸城を手に入れました。16世紀の終わりには佐竹義宣(さたけよしのぶ)が江戸氏を滅ぼし、城を西へ広げました。城下町もこのころにできたとされます。
【御三家の城へ】
関ヶ原(せきがはら)の戦いのあと、佐竹氏は秋田へ移されました。1609年(慶長14年)、徳川家康の十一男、徳川頼房(とくがわよりふさ)が初代の水戸藩主となり、城をさらに広げました。三の丸と外堀を整え、二の丸に御殿を造り、三階建ての物見の櫓(やぐら)を建てました。水戸徳川家はその後11代続きました。
【藩校と城のその後】
三の丸には、第9代藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき)が藩校の弘道館(こうどうかん)を建てました。弘道館は国の特別史跡で、建物が今も残っています。二の丸の館と三階の櫓は、明治のはじめと昭和20年(1945年)の戦災で焼けました。
【よみがえる城】
平成21年(2009年)に、坂東市(ばんどうし)の古いお寺で、水戸城の城門と伝わる扉が見つかり、水戸市に寄贈されました。これをきっかけに調査が進み、令和2年(2020年)に大手門、令和3年(2021年)に二の丸角櫓が復元されました。
見どころ・特徴
【復元された大手門】
水戸城の正門で、荒れたため明治時代に取り壊されました。令和2年(2020年)2月に、木造2階建て、高さ約13メートルで復元されました。歩いてくぐることができ、いつでも見学できます。
【二の丸角櫓】
令和3年(2021年)6月に公開が始まった、復元された櫓です。水戸駅北口のペデストリアンデッキからも外観が見えます。館内では水戸城の展示があり、入場は無料です。
【二の丸展示館】
日本遺産「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」をテーマに、水戸の教育遺産の資料を展示しています。入館は無料です。
【薬医門】
旧本丸にあった門で、安土桃山時代の末ごろに建てられたと推定されています。茨城県の指定文化財で、いまは県立水戸第一高等学校の敷地内にあります。見学のしかたは、事前に水戸市の歴史文化財課へご確認ください。
【土塁と堀】
本丸跡、二の丸の虎口(こぐち、出入り口)、三の丸の西側の3か所に、土塁と堀が残っています。茨城県の指定史跡です。粘土などを強く突き固めてつくられていて、石垣は使われていません。
【弘道館と水戸学の道】
三の丸の弘道館は、国の特別史跡です。日本100名城のスタンプは、弘道館の料金所窓口にあると紹介されています。水戸駅を起点に、水戸学ゆかりの史跡をめぐる散策路「水戸学の道」もあります。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城(14番)。水戸城跡(塁及び濠)は茨城県指定史跡(昭和42年指定)。
築城
平安時代の終わりから鎌倉時代の初めにかけて、馬場資幹が館を築いたとされます(1214年ごろとする紹介もあります)。
基本情報
住所
茨城県水戸市三の丸2
見学時間
【大手門】24時間見学できます。
【二の丸角櫓】9時30分から16時までです。無料です。
【二の丸展示館】9時から16時30分までです。無料です。
休館日は、どちらも12月29日から1月3日です。荒天のときや、角櫓の木の引戸が湿気で動かないときは、臨時に休館することがあります。開館時間は変わる場合があります。お出かけ前に水戸市の観光情報サイトでご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR水戸駅北口から徒歩約10分です。大手門から二の丸展示館までは徒歩約3分、弘道館から大手門までは徒歩約1分です。車では、常磐自動車道の水戸ICから約30分、北関東自動車道の水戸南ICから約15分です。二の丸角櫓の敷地内に駐車場はないため、まわりの有料駐車場をご利用ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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