この寺について
真言宗智山派の寺院で、山号は如意山。天平8年(736)に聖武天皇の勅願により、行基菩薩とインドから渡ってきた婆羅門僧正の二人が開いたと伝わる。婆羅門僧正が釈迦の左の眼を納めて「乙寺」と名づけたという由緒を持ち、地名の「乙」もこの寺に由来する。元和6年(1620)完成の三重塔は国の重要文化財、弁天堂は新潟県の重要文化財。越後三十三観音霊場の第26番札所。
歴史・由来
【この寺を理解する鍵】
「乙(おつ)」という変わった寺号には理由がある。寺に伝わる話では、インドから来た僧がここに釈迦(しゃか)の左の眼を納めたからだという。右を「甲」、左を「乙」と数える、あの甲乙の乙である。寺のある地名までが「乙」になっているのは、この寺が先にあったからである。
【天平8年、二人の僧が開いた】
天平8年(736)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願によって開かれたと伝わる。開いたのは行基菩薩(ぎょうきぼさつ)と、インドから渡ってきた婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)の二人。北陸一帯が穏やかであるようにと祈って建てられた勅願寺(ちょくがんじ、天皇の願いで建てられた寺)である。
インドの僧が越後まで足を延ばしたという話は遠く感じられるが、当時の奈良の都には海を越えてきた僧が実際に何人もいた。
【左の眼を納めて「乙寺」、金の塔を得て「乙宝寺」】
寺の公式サイトによれば、婆羅門僧正はこの寺に釈迦の左の眼を納め、「乙寺」と名づけた。
のちに後白河天皇が金の塔を寄進したことから、「宝」の字が加わって「乙宝寺」と改められたという。名前そのものが、この寺の来歴を二段階で記録していることになる。
【江戸時代に建った三重塔】
境内に立つ三重塔は1614年に工事が始まり、元和6年(1620)、村上城主・堀直寄(ほりなおより)のときに完成した。大正12年(1923)に国の保護を受ける建造物に指定され、昭和25年(1950)からは国の重要文化財となっている。
茅葺(かやぶき)屋根の弁天堂は江戸時代のはじめの建物とみられ、昭和30年(1955)に新潟県の重要文化財に指定された。
【越後の巡礼路のなかで】
乙宝寺は越後三十三観音霊場の第26番札所にあたる。毎年6月には、この霊場をめぐる巡拝が行われている。
見どころ・特徴
【三重塔】1614年に着工し、元和6年(1620)に完成した塔。国の重要文化財で、塔の中には普賢菩薩(ふげんぼさつ)が安置されている。新潟県内に現存する三重塔は数が少なく、この塔はその代表格である。
【宝物殿】婆羅門僧正が納めたと伝わる釈迦の左の眼をはじめ、寺に伝わる品が収められている。拝観は9時から16時まで、大人300円、高校生以下200円。
【弁天堂】新潟県指定の重要文化財。桁行三間・梁間二間の茅葺屋根で、江戸時代はじめの建物とみられている。
【大日堂(金堂)】この寺の中心の堂で、本尊の大日如来(だいにちにょらい)に阿弥陀(あみだ)・薬師(やくし)を加えた三尊を祀る。御朱印はこの大日堂の受付で受けられる。
【六角堂と観音堂】六角堂の本尊は釈迦如来、観音堂の本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)。堂ごとに祀る仏が違うので、順に回ると見どころが尽きない。
【どっこん水】弘法大師にゆかりがあると伝わる湧き水。
【訪ねかた】境内は自由に歩けるが、宝物殿の拝観と御朱印は受付のある時間に限られる。9時から16時のあいだに訪ねると、ひととおり見て回れる。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
大日如来
社格
真言宗智山派。越後三十三観音霊場 第26番札所。
創建
天平8年(736)(伝)
ご利益
厄除け健康・病気平癒
テーマ
霊場・巡礼パワースポット
基本情報
住所
新潟県胎内市乙1112
参拝時間
境内は自由に参拝できる。宝物殿は9時から16時まで。
宝物殿の拝観料は大人300円、高校生以下200円。30名以上の団体は割引がある。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR羽越本線「中条駅」から車で約15分(タクシーで約20分)。「平木田駅」からは車で約10分。
車は日本海東北自動車道「荒川胎内インターチェンジ」から約4分。
駐車場は3か所あり、大型車は第一駐車場へ。第三駐車場(約30台)は行事の際に開放される。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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