TabiShiri
寺 御朱印 燕市

国上寺

こくじょうじ

別名:くがみ山 国上寺

この寺について
新潟県燕市、国上山(くがみやま)の中腹に建つ真言宗豊山派の寺院です。和銅2年(709年)の開創と伝わり、越後でもっとも古い寺とされています。戦国時代には上杉謙信の祈願所として十万石の格式を与えられ、江戸時代には僧で歌人の良寛(りょうかん)が、境内から谷をへだてた草庵「五合庵(ごごうあん)」で二十年近くを過ごしました。本尊の阿弥陀如来は十二年に一度だけ開帳される秘仏です。

歴史・由来

この寺を読み解く鍵は、隣にそびえる弥彦の神と、この山に集まってきた人びとです。 【弥彦の神のお告げから始まった】 寺伝によれば、国上寺が開かれたのは和銅2年(709年)。彌彦(いやひこ)神社の神のお告げを受けて、金智大徳(こんちだいとく)という僧が開基したと伝えられます。本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)は、奈良時代の名僧・行基(ぎょうき)が自ら彫り、聖武天皇の后である光明皇后(こうみょうこうごう)から贈られた仏だと伝わります。神社のお告げによって寺が開かれるという成り立ちは、神と仏をひとつにして拝んできた日本の信仰のかたちをそのまま伝えています。 【山にこもる人びとの寺】 国上寺ははじめ修験道(しゅげんどう)の寺として出発し、法相宗(ほっそうしゅう)、天台宗を経て真言宗へと宗派を変えながら続きました。平安時代には天台宗の慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が立ち寄ったと伝えられ、その後この寺には僧兵が置かれたといいます。方丈講堂(ほうじょうこうどう)の柱に残る無数の小さな穴は、僧兵が手裏剣を投げて訓練した跡だと語り継がれています。 【謙信の祈願所、十万石】 戦国時代、客殿に安置された千手観音(せんじゅかんのん)を信じた上杉謙信が、この寺を祈願所として十万石の格式を与え、七堂伽藍を建てました。最盛期には国上山の中に二十一の坊が建ち並び、越後内外の末寺は百三十を超え、常に千人以上の修行僧がいたと伝わります。 【焼けた寺を立て直した三十年の托鉢】 戦乱のなかで国上寺は何度も兵火に遭い、本堂も焼け落ちました。荒れ果てた境内を目にした客僧の万元(まんげん)和尚は、越後じゅうを三十年かけて托鉢(たくはつ)して歩き、集めた浄財で本堂を建て直します。いまの本堂は四度目の再建にあたり、万元は中興(ちゅうこう)の祖と呼ばれています。 【五合庵と良寛】 その万元が隠居所とした草庵が、のちに良寛の住まいとなる五合庵です。名は、万元が寺から毎日五合の米を受けて暮らしたことに由来します。良寛は寛政9年(1797年)ころからここに移り、文化13年(1816年)に乙子(おとご)神社の草庵へ移るまで、およそ二十年をこの山で過ごしました。五合庵と乙子神社の境内は「良寛修行地」として、昭和27年(1952年)に新潟県の史跡に指定されています。

見どころ・特徴

【本堂】享保3年(1718年)に万元和尚が再建したと伝わる建物で、境内地とあわせて燕市の文化財に指定されています。 【六角堂】文化3年(1806年)の建立。源義経が納めたと伝わる大黒天(だいこくてん)の木像を祀ります。 【宝物殿(聚宝蔵)】良寛の遺墨、上杉謙信が寄進した香炉、上杉景勝・直江兼続の書状などを収めています。 【木造千手観音菩薩立像】新潟県指定文化財。上杉謙信が信心したと伝わる観音像で、客殿に安置されています。 【五合庵】良寛が二十年近くを過ごした草庵。いまの建物は大正3年(1914年)の再建で、白木造り藁葺き、間口二間・奥行九尺という小さなものです。 【千眼堂吊橋】朝日山展望台と五合庵を結ぶ、長さ124メートルの赤い吊り橋。橋の上から谷底まで約35メートルあります。平成5年(1993年)に「新潟の橋50選」に選ばれました。 【朝日山展望台】越後平野と大河津分水路(おおこうづぶんすいろ)を見渡せる高台です。 【鏡井戸】やましい心を持つ者がのぞくと、鬼の顔が映るという伝説の井戸です。 【五鈷掛(ごこかけ)の松】弘法大師が唐から帰る船の上から法具を投げたとき、五鈷がこの寺の松に掛かったと伝わります。 【国上山のブナ林】新潟県の天然記念物。佐渡弥彦米山国定公園のなかにあり、春の新緑と秋の紅葉が見事です。 【訪ねかた】境内から五合庵、千眼堂吊橋、朝日山展望台へと山道が続きます。歩きやすい靴で出かければ、良寛が日々たどった道をそのまま歩けます。冬は閉山となる期間があるため、雪のない季節が訪ねやすい時期です。
年中行事・お祭り
【初詣】1月1日から7日まで。例年一万人ほどが参拝します。 【寒水行】1月下旬から2月初めにかけて、住職が寒の水を浴びて行を修めます。 【節分祈祷会(八千枚護摩供)】2月3日。厄除け、方位の災難除け、家内安全、商売繁盛、開運を祈って護摩を焚きます。 【春彼岸法会・ペット彼岸法要】例年3月下旬。 【人形供養祭】例年3月下旬と9月上旬の年2回。 【写経・写仏会】5月から11月までの毎月最終土曜日。 【盆参会】例年8月上旬。 【秋彼岸法会・ペット彼岸法要】例年9月下旬。 【水子合同供養祭】例年9月下旬。 【柴燈大護摩火渡り大祭】御開帳の年の10月第1日曜日に行われます。 【御本尊御開帳】十二年に一度、子年に行われる秘仏の開帳です。令和2年(2020年)の開帳は延期となり、令和8年(2026年)4月10日から5月11日まで行われました。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

作品ゆかり
【酒呑童子(しゅてんどうじ)】大江山の鬼の頭領として知られる酒呑童子は、もとはこの寺の稚児(ちご)だったという伝説が残ります。宝物殿には酒呑童子を描いた絵巻が伝わります。 【源義経(みなもとのよしつね)】文治3年(1187年)、兄・頼朝に追われて奥州へ落ちのびる途中、義経一行がこの寺に身を隠したと寺に伝わります。そのとき納めたとされる大黒天の木像が、境内の六角堂に祀られています。 【良寛(りょうかん)】五合庵に住んだ良寛は、ここで多くの詩歌を詠みました。良寛を訪ねる旅の出発点として、この山はいまも文学好きに親しまれています。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来千手観音
社格
真言宗豊山派。修験道の寺として始まり、法相宗、天台宗、真言宗醍醐派を経て現在に至ると伝わります。 戦国時代には上杉謙信の祈願所として十万石の格式を賜り、国上山の中に二十一ヵ寺、越後内外に百三十余ヵ寺の末寺を有したと伝えられます。「越後最古の古刹」と称されます。 越後三十三観音霊場 第22番札所、越後新四国八十八ヶ所霊場 第30番札所、越後弘法大師二十一ヶ所霊場 第20番札所。
創建
和銅2年(709年)の開創と伝わります。寺伝では、彌彦(いやひこ)神社の神のお告げを受けて金智大徳(こんちだいとく)が開基したとされます。新潟県の紹介では「金地大徳」と表記され、開山を泰澄(たいちょう)とする説もあります。平成21年(2009年)に開山1300年を迎えました。
ご利益
厄除け家内安全商売繁盛
テーマ
霊場・巡礼山・登拝パワースポット
基本情報
住所
新潟県燕市国上1407
参拝時間
拝観は8時30分から16時30分まで。拝観料は大人300円、小学生・中学生・高校生200円です。40名以上の団体は大人270円、小学生・中学生・高校生170円になります。 冬季は2月から3月の彼岸ごろまで閉山となる期間があります。 御朱印の受付は9時から17時まで。国上寺の千手観音、五合庵の枕地蔵、越後三十三観音第22番、越後新四国八十八ヶ所第30番、越後弘法大師二十一ヶ所第20番の5種類があり、いずれも各500円です。 閉山期間や受付時間は変わることがあります。お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR越後線「分水駅」から車で約15分。上越新幹線・JR弥彦線「燕三条駅」から車で約30分。北陸自動車道「三条燕インターチェンジ」から約30分です。 国上山の中腹にあり、境内近くのビジターサービスセンターに駐車場があります。大型バスは6台まで停められます。 路線バスの便は多くないため、車かタクシーでの参拝が確実です。
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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