TabiShiri
寺 御朱印 福井市

西光寺

さいこうじ

別名:光明山乗律院西光寺(こうみょうざんじょうりついんさいこうじ)

この寺について
柴田勝家(しばたかついえ)と妻お市(おいち)の方の菩提寺(ぼだいじ)。延徳元年(1489年)に開かれた天台真盛宗(てんだいしんぜいしゅう)の寺で、正式には光明山乗律院西光寺という。境内には慶長年間に建てられたと伝わる二人の墓所と、勝家の遺品を収める柴田勝家公資料館がある。

歴史・由来

この寺を読み解く鍵は、柴田勝家が自害の直前に、後のことを西光寺の住職へ託したという伝えにある。 西光寺が開かれたのは延徳元年(1489年)。一乗谷(いちじょうだに)の城主・朝倉貞景(あさくらさだかげ)の家臣、上田兵衛尉盛忠(うえだひょうえのじょうもりただ)が岡の庄(おかのしょう。いまの福井市岡保〈おかほ〉のあたり)に堂を建て、天台真盛宗の宗祖・真盛(しんぜい)上人を招いて開山とした。真盛は比叡山で学び、念仏をひろめるために諸国をめぐった僧である。以後しばらくのあいだ、西光寺の住職は宗派の総本山・西教寺(さいきょうじ。滋賀県大津市)の管長を務めた。 寺が現在地へ移ったのは、朝倉氏が織田信長に滅ぼされたあとのことである。天正年間、越前を与えられた柴田勝家は北ノ庄(きたのしょう)に城を築き、城下町を整えるなかで西光寺を城下へ移した。勝家がこの寺を自分の菩提寺に定めた理由については、真盛上人の木像がどうしても動かなかったからだ、という言い伝えが残っている。 天正11年(1583年)4月24日、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに敗れた勝家は北ノ庄城で自害し、妻のお市の方も運命をともにした。勝家は63歳、お市の方は37歳だったと伝わる。勝家は出陣の前、親しくしていた九代目住職・真誉(しんよ)に死後の供養を託していた。遺骨がこの寺に納められたわけではない。それでも寺は約束を守りつづけ、四百年をこえたいまも命日の法要を営んでいる。 境内の墓碑は、のちの慶長年間に山中山城守長俊(やまなかやましろのかみながとし)が建てたと伝わる。越前にだけ見られる石の廟(びょう)の形で、勝家夫妻のほか一族をあわせて祀っている。

見どころ・特徴

【柴田勝家公・お市の方の墓所】境内の奥にある石造りの墓所。越前式石廟(えちぜんしきせきびょう)という、越前だけに見られる形をしている。屋根のついた石の箱の中に石塔が納められ、勝家夫妻と一族をあわせて祀る。慶長年間に山中山城守長俊が建てたと伝わる。墓所は予約なしで参拝できる。 【勝家公ゆかりの紅梅】墓のすぐそばに立つ大きな梅の木。勝家が愛したものと伝わり、昭和の福井空襲で焼けてもよみがえった。2月の下旬から3月にかけて、花びらが幾重にもかさなる八重の紅い花を咲かせる。 【柴田勝家公資料館】境内にある小さな資料館。勝家の念持仏(ねんじぶつ。身近に置いて拝む仏像)や刀剣、書状、北ノ庄城時代の鬼瓦(おにがわら)などを収める。拝観には事前の連絡が必要。 【北ノ庄城の礎石】明治7年(1874年)の整地のときに見つかったと伝わる、北ノ庄城の礎石(そせき。柱を受けた石)が境内に残る。勝家が築いた城そのものは失われており、その手ざわりを伝える数少ない遺品である。 【九十九橋の里程元標】足羽川(あすわがわ)に架かっていた九十九橋(つくもばし)は、明治42年(1909年)に木造トラス橋へ架け替えられた。そのときの古い橋桁(はしげた)を使って作られた里程元標(りていげんぴょう。道のりの起点を示す標柱)が、この寺に保存されている。 【訪ねかた】墓所だけなら自由に参拝できるので、まずは気軽に立ち寄ってよい。資料館まで見たい人は、日を決めて寺へ連絡してから出かけると、ゆっくり見ることができる。梅を目当てにするなら2月下旬から3月が見ごろである。
年中行事・お祭り
【開山忌(かいさんき)】例年3月下旬 開山の真盛上人をしのぶ法要。 【勝家まつり】例年4月下旬 柴田勝家をしのぶ寺の行事。 【柴田勝家公命日法要】例年4月24日 天正11年(1583年)に勝家が没した日に営まれる法要。四百年をこえて続いている。 【千部永代経(せんぶえいたいきょう)】例年6月初め 【お十夜報恩講(おじゅうやほうおんこう)】例年11月下旬 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来
社格
天台真盛宗。山号は光明山、院号は乗律院。総本山は西教寺(滋賀県大津市)。開山の真盛上人は天台真盛宗の宗祖で、創建からしばらくのあいだ歴代住職が西教寺の管長を務めたと伝わる。柴田勝家の菩提寺。
創建
延徳元年(1489年)。朝倉貞景の家臣・上田兵衛尉盛忠が岡の庄に建て、天台真盛宗の宗祖・真盛上人を開山に迎えたと伝わる。天正年間に柴田勝家が北ノ庄の城下(現在地)へ移した。
テーマ
戦国武将梅・花
基本情報
住所
福井県福井市左内町8-21
参拝時間
境内の墓所は自由に参拝できます(予約不要)。柴田勝家公資料館は12時から16時まで。拝観には事前の連絡が必要で、拝観料がかかります。御朱印も事前に連絡のうえ拝受してください。公開日や時間は変わることがあるため、訪ねる前に寺へ直接お問い合わせください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR福井駅から徒歩約17分。福井鉄道福武線・足羽山公園口駅から徒歩約3分。車の場合は北陸自動車道の福井インターチェンジから約12分。駐車場の有無は公表されていないため、車で訪ねる場合は事前に寺へお問い合わせください。すぐ近くに橋本左内の墓がある左内公園があり、あわせて歩けます。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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