この城について
北条氏照が築いた山城で、日本100名城の一つ。豊臣秀吉の小田原攻めの舞台となった。
歴史・由来
八王子城を理解する鍵は、「八王子」という地名そのものがこの城の信仰に由来する、という点にある。
延喜13年(913)、妙行(みょうぎょう)という僧が、深沢山(現在の城山)の洞窟で修行をしていたところ、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子が現れたという。延喜16年(916)、妙行はこれを祀る「八王子権現」を山中に祀った。これが「八王子」の地名の由来と伝わる。
戦国時代、北条氏康の三男・北条氏照(ほうじょう うじてる)が、この八王子権現を城の守護神として、深沢山に築城した。元亀2年(1571)頃に築城を始めたと伝わり、天正12年(1584)から天正15年(1587)の間に、それまでの本拠だった滝山城からこの地へ本拠を移したとされる(本格的な築城は天正6年/1578年頃とする説もある)。城は山頂の「要害地区」、館を構えた「居館地区」、城下町の「根小屋地区」の3つに分けられていた。
天正18年(1590)6月23日(新暦7月24日)、豊臣秀吉による関東制圧(小田原征伐)の中で、前田利家・上杉景勝・直江兼続・真田昌幸ら率いる豊臣方の軍勢が八王子城を攻めた。城主の氏照は小田原城に詰めており不在で、留守を守る城内はわずか3千の兵。守備側の中山勘解由左衛門や近藤出羽守らが奮戦したが、わずか1日で城は陥落した。
この落城は、小田原に籠城していた北条氏にとって決定的な打撃となり、北条氏は間もなく降伏・滅亡した。氏照は小田原で兄・氏政とともに切腹した。
落城の際、御主殿(城主の館)にいた婦女子たちが自刃し、滝に身を投げたという「御主殿の滝」の悲劇の伝承が伝わっている。ただし、御主殿が戦の最前線にあたる場所だったことから、この伝承の史実性には疑問を呈する見方もある。
見どころ・特徴
JR・京王「高尾駅」北口からバスで「霊園前・八王子城跡入口」下車、徒歩約15〜20分。土日祝日は「八王子城跡」行きの直行バスも運行される。
【御主殿跡】
城主の館があった場所。石垣・虎口(出入口)・曳橋(ひきはし)が復元整備されており、当時の姿を感じることができる。
【要害地区・本丸跡】
山頂の本丸跡まで登山道が整備されている。沢沿いの区間や急な下り坂もあり、本格的なハイキングの装備がおすすめ。日没前の下山が勧められている。
【日本100名城】
平成18年(2006)、日本城郭協会の「日本100名城」(22番)に選定。国の史跡にも指定されている。
【御城印】
八王子城跡ガイダンス施設で配布される申込書による郵送販売のみとなっている(令和8年/2026年4月以降。現地訪問の証明が必要)。
【北条氏照まつり】
例年10月、甲冑姿の武者隊が御主殿跡などを練り歩く祭り。太鼓演奏や模擬店も出る。
【訪ねかた】
登山道は本格的な山城歩きになるため、歩きやすい靴で訪れるのがおすすめ。ガイダンス施設や駐車場は午前9時から午後5時まで利用できる。
年中行事・お祭り
【北条氏照まつり】例年10月
八王子北条甲冑武者隊らによる演武・パレードが行われる祭り。御主殿跡地・模型広場やガイダンス施設が会場となり、太鼓演奏や模擬店も並ぶ。2026年は第15回として10月18日(日)10時から14時に開催予定(雨天中止)。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和26年/1951年6月9日指定)。日本100名城(22番、平成18年/2006年4月6日選定)。
築城
元亀2年(1571)頃、北条氏照が築城を始めたと伝わる。天正12年(1584)から天正15年(1587)の間に、滝山城からこの地へ本拠を移したとされる(本格的な築城は天正6年/1578年頃とする説もある)。
テーマ
日本100名城戦国時代
基本情報
住所
東京都八王子市元八王子町3
見学時間
城跡自体の入場は無料で、時間制限の明記はないが、夜間の登山道は危険なため日没前の下山がすすめられている。ガイダンス施設・駐車場の利用時間は午前9時から午後5時まで。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR・京王「高尾駅」北口から西東京バスで「霊園前・八王子城跡入口」下車、徒歩約15〜20分。土日祝日は「八王子城跡」行きの直行バスも運行。ガイダンス施設に隣接する無料駐車場あり(普通車50台、大型バス4台、身障者用2台、利用時間は午前9時から午後5時まで)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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