この寺について
金沢市の南、山あいに建つ曹洞宗(そうとうしゅう)の寺。山号は東香山(とうこうざん)、本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。曹洞宗の大本山・永平寺(えいへいじ)の三代目である徹通義介(てっつうぎかい)が開いた寺で、二代目の住職は、のちに大本山・總持寺(そうじじ)を開く瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)だった。つまり曹洞宗の二つの大本山の両方に、この寺が直接つながっている。禅宗の修行道場として七堂伽藍(しちどうがらん=禅寺に必要な7つの建物)が回廊でつながった配置をそのまま残し、仏殿は国の重要文化財。ほかに道元(どうげん)の直筆を含む書物5件が重要文化財に指定されている。今も修行僧が暮らす現役の道場で、毎週日曜日には誰でも参加できる坐禅会が開かれている。観光客でにぎわう金沢の名所とは対照的に、静かで張りつめた空気が残る寺である。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、「曹洞宗の二つの大本山が、どちらもここから出ている」という点にある。
曹洞宗には大本山が二つある。福井の永平寺(えいへいじ)と、横浜の總持寺(そうじじ)である。大乗寺は、その両方に直接つながっている。
はじまりは加賀(かが)の国、今の野々市(ののいち)だった。寺伝によれば弘長3年(1263)、この地の領主・冨樫(とがし)氏が真言宗の僧・澄海(ちょうかい)を招いて寺を建てたのが起こりという。当初は真言宗の寺だった。
それが禅寺に変わる。永平寺の三代目を務めた徹通義介(てっつうぎかい)が冨樫氏の帰依(きえ=信仰による支援)を受けて入り、大乗寺を曹洞宗の寺として開いた。徹通は道元(どうげん)の孫弟子にあたる人で、中国の禅寺の作法や伽藍の配置を日本に持ち帰り、曹洞宗の修行のかたちを整えた僧である。この寺の伽藍が禅寺の教科書のような配置をしているのは、その徹通が開いた寺だからだ。実際この寺には、中国の禅寺の伽藍を描いた図面「紙本支那禅刹図式(寺伝五山十刹図)」が伝わっており、国の重要文化財になっている。
そして二代目の住職になったのが瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)だった。瑩山はこののち能登(のと)に永光寺(ようこうじ)を開き、さらに總持寺を開く。曹洞宗を地方へ広め、今日の宗派の形をつくった人物で、道元とならんで「両祖(りょうそ)」と呼ばれる。三代目は明峰素哲(めいほうそてつ)。開山から三代続けて、曹洞宗の歴史に名を残す僧が住職を務めたことになる。
この寺に伝わる宝物は、そうした人のつながりをそのまま物語る。道元が自分で書いた「羅漢供養講式(らかんくようこうしき)」の断簡、道元から懐奘(えじょう)、そして徹通義介へと法が受け継がれたことを示す「三代嗣法書(さんだいしほうしょ)」。いずれも国の重要文化財である。仏像ではなく、書かれたものが宝として守られてきた点に、この寺の性格がよく表れている。
ただし、寺そのものは平穏ではなかった。室町時代後期の戦乱で焼け、場所を転々とする。木新保(きしんぼ、今の金沢市本町)へ移り、江戸時代には加賀藩の重臣・本多(ほんだ)家の菩提寺(ぼだいじ=先祖を弔う寺)として本多町に移った。
立て直したのは江戸時代前期である。寛文11年(1671)に月舟宗胡(げっしゅうそうこ)が入り、続く延宝8年(1680)には卍山道白(まんざんどうはく)が住職となった。この二人は、乱れていた曹洞宗の修行と法の継ぎ方を正そうとした改革者で、大乗寺はその運動の拠点になった。曹洞宗の歴史では「宗統復古(しゅうとうふっこ)」と呼ばれる動きである。
元禄10年(1697)、寺は現在の長坂町へ移った。今ある建物の多くはこの前後に建てられたもので、法堂は元禄15年(1702)、仏殿も同じ元禄15年の上棟と、棟札(むなふだ)からわかっている。総門と山門は本多町の旧寺地から元禄12年(1699)に移築されたものである。
開山から七百年以上、今も修行僧が暮らす道場として続いている。
見どころ・特徴
【仏殿(国の重要文化財)】昭和58年(1983)6月2日指定。棟札から元禄15年(1702)の上棟とわかっている。山門の奥に建ち、法堂・庫裡・僧堂と回廊でつながる。この寺で唯一の国指定建造物。
【七堂伽藍(しちどうがらん)の配置】禅寺に必要とされる7つの建物が、回廊(かいろう=屋根つきの廊下)でつながって一つの空間をつくっている。総門・山門・仏殿・法堂・庫裡・僧堂が整然と並ぶ。建物を一つずつ見るより、回廊を歩いて全体の構成を感じるほうがこの寺は面白い。
【法堂(はっとう)・含祖堂(がんそどう)】石川県指定文化財(昭和57年〈1982〉1月12日指定)。元禄15年(1702)の建立。正面10間、梁行7間の単層入母屋造り(いりもやづくり)で、曹洞宗の「客殿型(きゃくでんがた)」と呼ばれる形式。前面の1間分を土間とし、両脇で回廊とつながる。
【山門】石川県指定文化財。寛永年間(1624〜1644)の建立で、3間1戸の楼門(ろうもん=二階建ての門)。入口の左右に仁王像(におうぞう)、楼上には釈迦如来と十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)を安置している。元禄12年(1699)に本多町の旧寺地から移築された。
【総門】石川県指定文化財。寛文5年(1665)の建立で、一間薬医門(やくいもん)。山門とともに旧寺地から移築されたことが棟札からわかっている。
【重要文化財の書物5件】この寺の宝は仏像ではなく、書かれたものである。道元の直筆とされる「羅漢供養講式稿本断簡(らかんくようこうしきこうほんだんかん)」、道元から懐奘・義介へと法が継がれたことを示す「三代嗣法書(さんだいしほうしょ)」、道元が中国から持ち帰ったと伝わる「仏果碧巌破関撃節(一夜碧巌集〈いちやへきがんしゅう〉)」、中国の禅寺の伽藍を描いた「紙本支那禅刹図式(寺伝五山十刹図〈ござんじっさつず〉)」、「韶州曹渓山六祖師壇経 紙背仮名消息」。いずれも国の重要文化財。ただし常時公開されているわけではないので、実物を見られるかは事前に確認が必要。
【本多家霊廟(ほんだけれいびょう)】加賀藩の重臣・本多家の墓所。江戸時代、この寺が本多家の菩提寺だったことの名残である。
【日曜坐禅会】毎週日曜日の13時30分から、無料で参加できる。修行僧が実際に使っている僧堂で坐禅を組めるのがこの会の特徴で、観光寺院の体験プログラムとは性質が違う。
【観光地ではない】金沢の中心部から離れた山あいにあり、兼六園や東茶屋街のような賑わいはない。派手な庭園も宝物館もない。今も修行僧が生活している場なので、静かに歩くことが求められる。逆に言えば、「曹洞宗の禅寺がどういう造りで、どういう空気なのか」を体感したい人にとっては、金沢でここ以上の場所はない。
学び・特徴
主祭神
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
社格
曹洞宗。山号は東香山(とうこうざん)。開山は永平寺三世・徹通義介、二世は總持寺を開いた瑩山紹瑾。仏殿と道元筆の書物など計6件が国の重要文化財、法堂・山門・総門は石川県指定有形文化財。
創建
寺伝では弘長3年(1263)、冨樫氏が真言宗の僧・澄海を招いて野々市に創建。のち曹洞宗に改まり、徹通義介が開山となった。現在地の長坂町へ移ったのは元禄10年(1697)。
ご利益
心願成就
テーマ
重要文化財禅寺禅体験
基本情報
住所
石川県金沢市長坂町ル10
参拝時間
拝観時間は9:00〜15:00。曹洞宗石川県宗務所の案内では拝観できない日はなく、御朱印の授与もあります。毎週日曜日の13時30分から、無料の日曜坐禅会が開かれています(僧堂で実際に坐禅を組みます)。拝観料については公式な案内を確認できませんでした。重要文化財の書物は常時公開されているわけではありません。坐禅会への参加や団体での拝観、宝物の拝観を希望する場合は、事前に寺へお問い合わせのうえお出かけください。時間・受付は変更される場合がありますので、公式サイトでご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
拝観時間は9:00〜15:00。曹洞宗石川県宗務所の案内では拝観できない日はなく、御朱印の授与もあります。毎週日曜日の13時30分から、無料の日曜坐禅会が開かれています(僧堂で実際に坐禅を組みます)。拝観料については公式な案内を確認できませんでした。重要文化財の書物は常時公開されているわけではありません。坐禅会への参加や団体での拝観、宝物の拝観を希望する場合は、事前に寺へお問い合わせのうえお出かけください。時間・受付は変更される場合がありますので、公式サイトでご確認ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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