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城 御城印日本100名城21番・国の特別史跡 千代田区

江戸城

えどじょう

この城について
江戸城(えどじょう)は、江戸幕府を開いた徳川将軍家の居城だった城です。江戸時代には、周囲が約4里(約16キロ)におよぶ、日本最大の面積の城でした。 いまは皇居となっていて、本丸・二の丸・三の丸の一部は、皇居東御苑として無料で公開されています。天守台(てんしゅだい)や石垣、櫓(やぐら)など、江戸時代の城の姿を、今も見ることができます。

歴史・由来

江戸城を理解する鍵は、「小さな城が天下普請で日本一の城になり、天守を失ったあと、いまは皇居と公園になった」という流れにあります。 江戸城は、長禄元年(1457)、太田道灌(おおた どうかん)が築いた城が始まりです。その後は北条氏の城となり、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びました。 秀吉に関東を任された徳川家康は、同じ年の8月1日に江戸城に入りました。当時の江戸城は荒れ果てていて、茅葺き(かやぶき)の家が、わずかに残る程度だったといいます。 慶長8年(1603)、家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きます。このころから、全国の大名を動員する天下普請(てんかぶしん)で、城の工事が進められました。こうして江戸城は、周囲約4里におよぶ、日本最大の城になりました。 天守は、慶長度(1607年)、元和度(1622から23年)、寛永度(1636から37年)と、3度建て直されました。しかし明暦(めいれき)の大火(1657)で、寛永度の天守が焼け落ちます。そのとき、保科正之(ほしな まさゆき)が「天守は戦のための物見で、いまは必要ない」という意見を述べ、以後、天守は再建されませんでした。 幕末の慶応4年(1868)、勝海舟(かつ かいしゅう)と西郷隆盛(さいごう たかもり)の会談で、江戸城は戦わずに明け渡されました(無血開城、むけつかいじょう)。城は東京城と名を改め、明治2年(1869)の東京奠都(とうきょうてんと)で、皇居となりました。 昭和43年(1968)、旧江戸城の本丸などの一部が、皇居東御苑として一般に公開されました。江戸城跡は国の特別史跡に指定され、皇居外苑の濠や、東御苑の一部などが対象となっています。

見どころ・特徴

【天守台(てんしゅだい)】 東御苑の奥にある石垣の土台で、かつてここに寛永度の天守が建っていました。明暦の大火で天守は焼失し、台だけが残っています。 【松の廊下跡】 本丸にあった廊下の跡です。江戸城の本丸の広さと、将軍の暮らしの舞台を想像できる場所です。 【百人番所(ひゃくにんばんしょ)と大番所】 大手門から本丸へ向かう途中に建つ、長い番所の建物です。城の警備にあたった武士たちの詰め所でした。 【富士見櫓(ふじみやぐら)】 江戸時代から残る櫓の一つで、東御苑から眺められます。 【二の丸庭園と諏訪の茶屋(すわのちゃや)】 二の丸庭園は、季節の花が咲く、散策に向いた庭園です。諏訪の茶屋は、庭園にある休憩のための建物です。 【東御苑の入口】 入口は、大手門、平川門(ひらかわもん)、北桔橋門(きたはねばしもん)の3か所です。入園のときは、手荷物の検査があり、入園票を受け取って、帰るときに返します。 【日本100名城のスタンプ】 日本100名城(21番)のスタンプは、東御苑ではなく、皇居外苑の楠公休憩場、和田倉休憩場、北の丸公園の北の丸休憩場に置かれています。利用できる時間は、各休憩場でご確認ください。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城21番・国の特別史跡
築城
長禄元年(1457)に太田道灌が築城。天正18年(1590)に徳川家康が入城
基本情報
住所
東京都千代田区千代田1-1
見学時間
皇居東御苑は、月曜日と金曜日が休園です。祝日は公開されますが、天皇誕生日は休園です。年末年始(12月28日から1月3日)も休園です。入園は無料です。開園と閉園の時間は、季節によって変わります。開園日・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず宮内庁の公式サイトでご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
皇居東御苑へは、大手町駅(C13a出口)から徒歩約5分です。東京メトロ東西線の竹橋駅(1a出口)からも、徒歩約5分です。JR東京駅の丸の内北口からは、徒歩約15分です。東御苑の入口は、大手門、平川門、北桔橋門の3か所です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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