TabiShiri
寺 御朱印 高岡市

勝興寺

しょうこうじ

富山県・高岡市の寺「勝興寺」

Suikotei, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

この寺について
文明3年(1471)に蓮如が開いた土山御坊を前身とする、浄土真宗本願寺派の寺院。 戦国時代には越中の一向一揆の拠点となり、江戸時代は加賀前田家と結んで越中真宗の中心に立った。 23年をかけた「平成の大修理」を終え、令和4年(2022)12月に本堂と大広間及び式台が国宝に指定された。境内は奈良時代の越中国庁の跡地と伝えられ、土塁と堀が今も残る。

歴史・由来

【この寺を理解する鍵】 勝興寺は、三度も場所を変えている寺である。しかも最後にたどり着いたのが、奈良時代に越中国(えっちゅうのくに、今の富山県)の役所が置かれていたと伝わる土地だった。引っ越しの理由をたどると、そのまま戦国時代の越中の歴史になる。 【土山御坊から始まる】 文明3年(1471)、本願寺8世の蓮如(れんにょ)が越中砺波郡(となみぐん)の土山(つちやま)に開いた「土山御坊(つちやまごぼう)」が始まりで、蓮如の子・蓮誓(れんせい)が置かれた。永正14年(1517)、佐渡にあった順徳天皇(じゅんとくてんのう)ゆかりの寺「勝興寺」の寺号を引き継ぎ、この名になった。その後、安養寺(あんようじ、現在の小矢部市)へ移る。 【一向一揆の拠点、そして焼き討ち】 戦国時代、越中は浄土真宗の信仰が非常に強い土地で、門徒たちが一つにまとまって戦う「一向一揆(いっこういっき)」が起きた。勝興寺はその拠点の一つだった。しかし天正9年(1581)、織田方の石黒成綱(いしくろなりつな)に焼き討ちされてしまう。 【越中国庁の跡地へ】 天正12年(1584)、越中を治めていた佐々成政(さっさなりまさ)から古国府城(ふるこくふじょう)の地を与えられ、現在の場所で再興したと伝えられる。この一帯は伏木(ふしき)といい、奈良時代には越中国の役所が置かれていた。高岡市も「勝興寺の境内地は、越中国庁跡と伝承されており」と記している。周囲の土塁(どるい)と空堀(からぼり)は、寺であると同時に城でもあったことの名残である。 【前田家と結んで、越中真宗の中心へ】 江戸時代に入ると、加賀藩の前田家の支配下で厚く保護された。元和4年(1618)には前田利常(まえだとしつね)から寺領を加増され、前田家や公家との縁組を重ねて、越中の浄土真宗をまとめる「触頭(ふれがしら)」として大きな力を持った。 寛政7年(1795)、11代藩主・前田治脩(まえだはるなが)の支援を受けて本堂が再建される。京都の西本願寺の阿弥陀堂を手本にしたもので、間口39.3m、奥行37.5mという北陸でも屈指の大きさになった。 【平成の大修理と国宝指定】 明治以降は寺の力が衰え、建物の傷みが進んだ。平成10年(1998)から国の補助を受けて「平成の大修理」が始まり、総額約70億円、23年をかけて令和3年(2021)3月に完工した。そして令和4年(2022)12月12日、本堂と大広間及び式台が国宝に指定された。江戸時代の姿を取り戻した12棟が、今そろって建っている。

見どころ・特徴

【国宝・本堂】寛政7年(1795)再建。間口39.3m、奥行37.5mの巨大な建物で、京都の西本願寺の阿弥陀堂を手本にしている。中に入って畳に座り、天井の高さを見上げてほしい。 【国宝・大広間及び式台】17世紀の中ごろに建てられた、寺の「表座敷」にあたる部分。式台(しきだい)は身分の高い客を迎えるための玄関で、寺というより武家屋敷や御殿に近い造りをしている。勝興寺が単なる寺ではなく、政治の場でもあったことがよく分かる。 【唐門】本堂の手前に立つ門。明治26年(1893)に京都の興正寺(こうしょうじ)から移されたもので、2艘(そう)の北前船(きたまえぶね)を使って海路で運ばれた。伏木が北前船の寄港地だったからこその話である。重要文化財。 【重要文化財10棟】総門、唐門、式台門、鼓堂(こどう)、経堂(きょうどう)、宝蔵(ほうぞう)、御霊屋(おたまや)、台所、書院及び奥書院、御内仏(おないぶつ)。国宝2棟と合わせて12棟がそろって残っているのが、この寺の最大の価値である。 【七不思議】寺に伝わる不思議な言い伝えが七つある。実ならずの銀杏(いちょう)、天から降った石、水の枯れない池、三葉の松、雲龍の硯(すずり)、屋根を守る邪鬼(じゃき)、屋根を支える魔除けの柱。銀杏は、木から子どもが落ちたり実の取り合いで喧嘩が起きたりしたため、住職がお経をあげたら翌年から実をつけなくなった、と伝えられる。境内を歩きながら一つずつ探すと楽しい。 【土塁と堀に囲まれた境内】境内のまわりには土塁と空堀が残る。戦国時代、ここが一向一揆の拠点だった名残である。 【越中国庁の跡地という伝承】この場所には奈良時代、越中国の役所があったと伝えられる。高岡市観光協会は、国守が住んだ館は近くの伏木気象資料館のあたりだったといわれる、と説明している。
年中行事・お祭り
【御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)/御満座法要(おまんざほうよう)】例年1月15日〜16日 浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)をしのぶ、一年で最も大切な法要。台とあわせて高さ約3mになる「デカローソク」に火がともされ、国宝の本堂に大勢の門徒が集まる。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

作品ゆかり
【万葉集】この伏木一帯は奈良時代の越中国府が置かれた土地で、国守として赴任した歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が多くの歌を残した。高岡市観光協会は、国庁があったのが現在の勝興寺の場所、家持が住んだ国守館は伏木気象資料館のあたりといわれる、と説明している。境内に立つと、万葉集が生まれた現場の上にいることになる。 【日本遺産】文化庁の日本遺産「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡」の構成文化財のひとつ。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来
社格
浄土真宗本願寺派。国宝2棟(本堂、大広間及び式台)、重要文化財10棟。日本遺産「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡」構成文化財。江戸時代は越中真宗の触頭。
創建
文明3年(1471)/土山御坊として。現在地へは天正12年(1584)
テーマ
パワースポット国宝
基本情報
住所
富山県高岡市伏木古国府17-1
参拝時間
3月〜11月 9:00〜16:30(受付は16:00まで) 12月〜2月 9:00〜16:00(受付は15:30まで) 12月29日〜1月4日は拝観を制限 拝観料 大人500円/中高生200円/小学生100円(20名以上の団体は大人400円・中高生150円・小学生70円)

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR氷見線 伏木駅から徒歩約7分。 北陸新幹線 新高岡駅から加越能バスで「伏木駅前」下車、徒歩約7分。 車は能越自動車道 高岡北ICから約15〜20分。 駐車場はJR伏木駅の駐車場、または勝興寺北駐車場(いずれも無料)。観光バスは伏木駅近くの専用駐車場(無料)から徒歩約7分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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