この寺について
四国八十八ヶ所霊場の第3番札所で、高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)のお寺です。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。弘法大師(こうぼうだいし)が掘ったと伝わる「黄金の井戸」が寺の名の由来で、井戸に自分の顔が映れば長生きできるといわれています。源義経(みなもとのよしつね)ゆかりの「弁慶の力石」も境内に残ります。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、寺の名前にもなった「黄金の井戸」です。
【金光明寺としての始まり】奈良時代の天平(てんぴょう)年間(729年から749年)、聖武天皇(しょうむてんのう)の願いを受けて行基(ぎょうき)が本尊を刻み、「金光明寺(こんこうみょうじ)」として開いたと伝わります。
【黄金の井戸と金泉寺】平安時代のはじめの弘仁(こうにん)年間、この地を訪れた弘法大師が日照りに苦しむ村人のために井戸を掘ると、黄金色に輝く霊水が湧き出たといいます。この「金の泉」にちなんで、寺の名は金泉寺と改められました。
【亀山法皇と山号】鎌倉時代には、亀山法皇(かめやまほうおう)が京都の三十三間堂にならったお堂を建て、千体の千手観音を祀ったと伝わります。このとき寺の背後の山を「亀山」と名づけ、山号を「亀光山(きこうざん)」に改めたとされます。
【義経の戦勝祈願】元暦(げんりゃく)2年(1185年)、源義経は屋島(やしま)の平家を攻めに向かう途中、この寺に立ち寄って勝利を祈ったと伝わります。境内の「弁慶の力石」は、このとき弁慶が力試しに持ち上げてみせた石とされています。
【兵火と再興】天正(てんしょう)10年(1582年)、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の軍による戦火で、大師堂を残して多くの建物が焼けました。その後、少しずつ建て直されて今の姿になっています。
学び・特徴
主祭神
釈迦如来
社格
高野山真言宗/四国八十八ヶ所霊場 第3番札所
創建
天平年間(729年から749年)、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わる。当初は金光明寺と称し、弘仁年間に弘法大師が井戸を掘ったことから金泉寺と改めたとされる。
ご利益
長寿健康・病気平癒
テーマ
四国遍路源氏ゆかり
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
参拝時間
境内は自由にお参りできます。納経(御朱印)の受付は7時から17時までです。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
徳島バス鍛冶屋原線「板野駅南」バス停から約0.7km。車の場合は、高松自動車道・板野ICから約1km、徳島自動車道・藍住ICから約3.2km。無料駐車場あり(普通車14台・大型車3台)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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