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史跡 印佐賀県指定史跡(昭和31年3月1日指定)/新さが百景 唐津市

鵜殿石仏群

うどのせきぶつぐん

この神社について
松浦川中流域の右岸、断層の岩壁に約60体の磨崖仏が刻まれた佐賀県指定史跡。 九州では大分の臼杵石仏に次ぐ規模の中世山岳仏教遺跡とされる。 空海が大同元年(806)に彫ったという伝説が残るが、現存する像でもっとも古いのは14世紀前半、南北朝時代のものである。岩窟にはかつて平等寺、のちに明王院という真言宗系の寺が建っていたが、戦火で焼けて岩壁の仏だけが残った。

歴史・由来

この石仏群を理解する鍵は、ここが「寺のあった跡」ではなく「岩そのものが寺だった場所」だという点にある。 言い伝えでは、大同元年(806)に唐から帰った空海がこの地に立ち寄り、釈迦・阿弥陀・観音の三尊を岩肌に刻んだという。ただし現存する像を様式から見ると、いちばん古いものでも14世紀前半、南北朝時代までしかさかのぼらない。空海の話は、この場所の古さを語るために後からまとわりついた由緒と見るのが妥当である。 仏が増えていくのは南北朝から室町・戦国にかけてで、その後も江戸時代まで彫り足された。密教色の濃い像が並ぶのは、ここが山岳仏教の行場だったからで、松浦地方の武士たちの信仰を集めた。室町時代には岩窟のなかに平等寺が建ち、17世紀には明王院という真言宗系の寺が置かれている。 その寺は戦火で焼けた。松浦党と龍造寺氏の争いのなかで失われたと伝わるが、天文14年(1545)とする資料と天正年間(1573〜92)とする資料があり、年代は定まっていない。いずれにせよ建物は消え、岩に彫られた仏だけが残った。 昭和31年(1956)3月1日、佐賀県の史跡に指定。現在は主窟、南西壁面の二天窟、東壁面の三区画に分かれて像が残り、風化を防ぐために覆屋がかけられている。

見どころ・特徴

【約60体の磨崖仏】断層の岩壁一面に刻まれている。中心は十一面観音で、その両脇に多聞天と持国天を配する。ほかに不動明王などがあり、密教の色が濃い。九州では臼杵石仏に次ぐ規模とされる。 【三つの区画】主窟、南西壁面の二天窟、東壁面の三つに分かれる。像は南北朝から江戸時代まで年代に幅があり、彫りの深さも風化の度合いもばらつく。同じ岩壁を数百年かけて彫り継いだ跡がそのまま読める。 【岩窟】奥に小さな洞窟があり、そこにも石仏が並ぶ。かつてここに平等寺の堂があった。 【率直なところ】常駐の人はおらず、見学は15分ほどで終わる。風化が進んでいて、輪郭がはっきり分かる像ばかりではない。整備された観光地ではなく、急な石段を下りていく静かな場所で、人によっては薄暗く感じる。それでも、九州の中世山岳仏教が何を岩に託したのかを、解説板ごしでなく実物で見られる場所はそう多くない。
学び・特徴
主祭神
十一面観世音菩薩毘沙門天(多聞天)
社格
佐賀県指定史跡(昭和31年3月1日指定)/新さが百景
創建
現存する石仏のうち最古は14世紀前半(南北朝時代)で、南北朝から江戸時代にかけて彫り継がれた。伝承では大同元年(806)に空海が刻んだとされるが、確認できる造像年代とは合わない。
テーマ
パワースポット史跡
基本情報
住所
佐賀県唐津市相知町相知
参拝時間
見学自由、無料。門や受付はなく、常駐の管理者もいません。照明がないため、日没後や悪天時は足元が危険です。明るい時間に訪ねてください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【車】厳木多久有料道路「牧瀬IC」から約9km。国道203号から天徳の丘方面へ入ります。道が分かりにくいので、カーナビや地図では「天徳の丘運動公園」を目標にすると確実です。 【駐車場】無料駐車場がありますが台数が限られます。満車のときは隣接する天徳の丘運動公園の駐車場(170台)に停め、約200mを歩きます。 【鉄道・徒歩】JR唐津線「相知」駅から徒歩約20〜30分(約1.9km)。JR筑肥線「肥前久保」駅からは徒歩約20分。 【注意】石仏群までは急な石段を下ります。整備された遊歩道ではないので、歩きやすい靴でお越しください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

訪問記録

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