この寺について
曹洞宗の禅寺。山号は平安山(へいあんざん)。戦国大名・龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が一族の安泰を願って建てた菩提寺で、佐賀城下の禅宗寺院として格式を持つ。本堂・庫裏には佐賀城大書院の解体部材が使われ、境内には大隈重信(おおくましげのぶ)侯爵家の墓所もある。
歴史・由来
龍泰寺を理解する鍵は、戦国大名・龍造寺隆信の「安泰」への願いが、寺の名にそのまま込められている、という点にある。
永禄6年(1563)、肥前(ひぜん)の戦国大名・龍造寺隆信は、かつての少弐(しょうに)氏の居館跡を選び、一族の安泰を祈願してこの寺を建てた。寺号「龍泰寺」は「龍造寺安泰」の意に由来すると伝わる。開山には山口・龍文寺(りゅうもんじ)の住職であった要室(ようしつ、隆信の叔父にあたるという)が招かれたとされる(開創を永禄8年(1565)、開山を大圭(だいけい)和尚とする異説もある)。
天正12年(1584)、隆信は島原で戦死し、この寺に墓所が築かれた。隆信の夫人や子・政家(まさいえ)夫妻、龍造寺の血を引く村田家の人々もここに葬られたが、のちに隆信や政家夫妻の墓は高伝寺(こうでんじ)・宗龍寺(そうりゅうじ)などへ改葬され、現在は村田家の墓所が境内に残る。
江戸時代以降も佐賀藩ゆかりの寺として大切にされ、佐賀が生んだ政治家・大隈重信侯爵の家の菩提寺にもなっている。本堂と庫裏は、解体された佐賀城大書院(だいしょいん)の部材を使って大正時代に建てられたもので、城の記憶を今も伝えている。
見どころ・特徴
【山門】
朱塗りの二重楼門(にじゅうろうもん)。入母屋造の屋根と白壁の対比が美しい。棟木の墨書から明治元年(1868)の建立とわかっている。
【本堂・庫裏】
解体された佐賀城大書院の部材を使って大正時代に建てられた。城の面影を伝える貴重な建築。
【大隈重信侯爵家の墓所】
佐賀出身の政治家・大隈重信侯爵の家の菩提寺として、境内に墓所がある。
【村田家の墓所】
龍造寺氏の血を引き、佐賀藩の親類衆として重んじられた村田家の墓が残る。
【山門脇のアカマツ】
山門のそばに立つ老松で、長い歴史を感じさせる。
【訪ねかた】
境内は自由に拝観できるので、山門から本堂まで、城の部材を使った建築に注目しながら歩いてみてほしい。
学び・特徴
本尊
釈迦如来
宗派・寺格
曹洞宗
創建
永禄6年(1563)、龍造寺隆信が一族の安泰を願って創建(開創を永禄8年/1565とする資料もある)。
ご利益
厄除け学業・合格
テーマ
庭園紅葉
基本情報
住所
佐賀県佐賀市赤松町2-4
参拝時間
境内自由
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR長崎本線「佐賀」駅より徒歩約15分
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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