この寺について
建徳2年(1371年)、後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師を開山として、奥山六郎次郎朝藤が開いた臨済宗方広寺派の大本山。山号は深奥山。本尊の木造釈迦如来及び両脇侍坐像は国の重要文化財。応永8年(1401年)建造の七尊菩薩堂は明治の大火を免れ、静岡県内で最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されている。明和7年(1770年)に安置された五百羅漢が境内のいたるところに点在し、一体ずつ顔も姿勢も異なる。鎮守として祀る半僧坊大権現の名から「奥山半僧坊」と呼ばれ、鎌倉の建長寺半僧坊はここから勧請されたものである。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、鎮守の名が寺の名を超えてしまったことにある。
正式には深奥山方広寺という。臨済宗方広寺派の大本山で、末寺を全国に持つ。だが人々はこの寺を「奥山半僧坊」と呼ぶ。半僧坊とは、本尊でも開山でもない、境内の鎮守の名である。
その由来は開山にさかのぼる。
無文元選禅師(1323-1390)は後醍醐天皇の皇子である。皇子でありながら出家し、元へ渡って修行を積んだ。その帰路、船が嵐に遭う。そのとき現れて船を守ったのが、半僧半俗の姿をした異形の者だったと伝わる。禅師はこれを日本へ伴い、のちに開いたこの寺の鎮守とした。
建徳2年(1371年)、奥山六郎次郎朝藤の帰依を得て開創。朝藤は井伊家の一族である。井伊谷の奥、愛知との県境に近い山中に、皇子の禅寺が開かれた。
以後、寺は鎮守とともに歩む。厄除け・火防の霊験があるとされた半僧坊の信仰は次第に広がり、明治期には鎌倉の建長寺がこれを勧請した。建長寺半僧坊は今日よく知られるが、その本家はこの山中にある。
明和7年(1770年)、五百体の羅漢が境内に安置された。
明治期に大火があり、伽藍の多くが失われた。そのなかで応永8年(1401年)の七尊菩薩堂だけが焼け残り、静岡県内で最古の木造建造物として今に伝わる。再建された本堂・三重塔・開山堂など二十四棟は、平成31年・令和元年(2019年)に国の登録有形文化財となった。
見どころ・特徴
【五百羅漢】明和7年(1770年)に安置されたもので、境内のいたるところに点在する。参道の脇、石段の途中、木の根方。顔の作りも表情も姿勢もすべて違い、苔をまとった姿に年月が出ている。全部を見て回ろうとすると、それだけで半日かかる。
【七尊菩薩堂】国指定重要文化財。応永8年(1401年)の建造で、明治の大火を免れた。静岡県内に現存する最古の木造建造物である。この一棟だけが焼け残ったという事実が、この寺の歴史をそのまま物語っている。
【木造釈迦如来及び両脇侍坐像】本尊。国指定重要文化財。
【三重塔】大正12年(1923年)の建立。哲学の道を挟んで本堂と向かい合う位置に立つ。
【半僧坊大権現】開山・無文元選禅師が元から帰る船を守ったと伝わる、半僧半俗の姿の神。厄除け・火防の霊験で信仰を集め、鎌倉の建長寺半僧坊はここから勧請された。本家はこちらである。
【登録有形文化財の伽藍】本堂、三重塔、開山堂、禅堂、鐘楼、山門など二十四棟が、2019年に国の登録有形文化財となった。個々の建物より、山中に展開する伽藍全体の佇まいを見たい。
【亀背橋あたりの紅葉】境内を流れる谷に架かる橋の周辺が、紅葉のもっとも美しい場所とされる。
【坐禅・写経・宿坊】坐禅会と写経が随時受けられ、毎月第4土曜からの一泊二日で週末宿坊も行っている。精進料理もいただける。見るだけでなく過ごせる寺である。
学び・特徴
主祭神
釈迦如来半僧坊大権現
社格
臨済宗方広寺派大本山
創建
建徳2年(1371)
ご利益
厄除け勝負運家内安全
テーマ
紅葉庭園パワースポット禅
基本情報
住所
静岡県浜松市浜名区引佐町奥山1577-1
参拝時間
9:00〜16:30(山門の受付は16:00まで)。無休。拝観料は大人500円、中学生以下200円、未就学児無料。坐禅・写経などの体験は別料金。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR浜松駅から遠鉄バス「奥山」行きで終点下車。浜松市街から車で約50分。無料駐車場あり。愛知県境に近い山中なので、車のほうが現実的。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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