
この寺について
山号は出流山。真言宗智山派の寺院で、坂東三十三観音の第17番札所。
本堂(大御堂)の本尊は千手観世音菩薩で、筑波山の大御堂、奈良の興福寺大御堂とともに日本三御堂のひとつと称される。
本堂から山道を登った奥之院には、鍾乳石が自然に十一面観音の後ろ姿を形づくった洞窟があり、子授け・安産・子育ての信仰を集める。
門前には名物の出流そばの店が並ぶ。
歴史・由来
この寺を訪ねる前に押さえておきたいのは、満願寺が二つの観音をもつ寺だということである。
人の手が刻んだ観音と、自然が形づくった観音。
両方を拝んで、はじめてこの寺を参拝したことになる。
寺伝によれば、天平神護元年(765)、勝道上人がこの地を開いた。
日光を開いた、あの勝道である。それに先立つ神亀5年(728)には行基が霊木に千手観音を刻んで安置したとも伝えられる。さらに弘仁11年(820)、空海が勝道上人の徳を慕って参詣し、その折に当山の銘木で千手観世音菩薩を造立したという。
本堂に祀られる本尊は、この空海作と伝わる千手観音である。これが人の手による一体目。
もう一体は、本堂から山道を登った先の奥之院にある。石灰岩の洞窟に垂れた鍾乳石が、十一面観音の後ろ姿をそのまま形づくっている。後ろ姿というところが要で、正面から拝む仏像とはまるで違う対面になる。子授け・安産・子育ての信仰は、この奥之院に寄せられてきた。

奥之院
中世以降は武家と庶民の信仰を集め、江戸幕府からは朱印地を受けた。現在の本堂(大御堂)は明和元年(1764)の再建で、昭和51年(1976)に栃木県指定有形文化財となっている。
この山が歴史の表舞台に出たのは幕末である。慶応3年11月29日(1867年12月24日)、薩摩藩の意を受けた浪士たちが本堂の前で討幕軍であることを明かし、倒幕の檄文を発した。出流山事件と呼ばれる。近隣の住民も加わって一時は150名ほどに膨れ上がったが、二週間ほどで鎮圧され、参加者は佐野河原で斬首された。この事件が江戸薩摩藩邸焼討事件を誘発し、戊辰戦争の引き金のひとつになったとされる。山中の観音霊場が、そのまま日本の転換点に接続している。

見どころ・特徴
【本堂(大御堂)】明和元年(1764)の再建。入母屋造で、三手先に竜の彫刻を施す。筑波山の大御堂、奈良の興福寺大御堂とともに日本三御堂のひとつと称される。昭和51年(1976)に栃木県指定有形文化財に指定された。毎日、大護摩修行が行われている。
【奥之院の鍾乳石十一面観音】石灰岩の洞窟の中で、鍾乳石が自然に十一面観音の後ろ姿を形づくったもの。子授け・安産・子育ての信仰を集める。本堂から山道を登るので歩きやすい靴で。拝観できる時間が本堂より短く、4月〜9月は8:30〜16:00、10月〜3月は8:30〜15:00までなので、午後に訪ねる場合は注意したい。
【山門(仁王門)】享保20年(1735)の建立で、栃木市指定文化財。一対の仁王尊像は足利時代の作と伝わる。もとは茅葺きで、昭和初年に金属板へ改められ、平成2年(1990)に復元工事が行われた。

【大悲の滝】高さ8メートル。年間を通して滝行者が絶えない。一般向けの滝行体験も受け付けている(1人5,000円)。
【薬師堂】享保年間の建立と伝わる。薬師如来を安置し、厄よけと眼病に霊験があるとされる。
【修行の場として開かれていること】護摩祈祷、滝修行、坐禅(阿字観)を実施している。観音霊場を巡るだけでなく、自分が修行する側に回れる。門前のそばと合わせると半日仕事になるので、時間に余裕をもって計画したい。

学び・特徴
主祭神
千手観世音菩薩
社格
真言宗智山派。坂東三十三観音 第17番札所。本堂(大御堂)は筑波山の大御堂、奈良の興福寺大御堂とともに日本三御堂のひとつと称される。
創建
寺伝では天平神護元年(765)、勝道上人の開山。神亀5年(728)に行基が千手観音を刻んで安置したとも伝わる。
ご利益
厄除け子宝・安産
テーマ
山・登拝パワースポット紅葉
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
栃木県栃木市出流町288
参拝時間
8:30〜17:00。年中無休。 奥之院は本堂より受付時間が短く、4月〜9月は8:30〜16:00、10月〜3月は8:30〜15:00。 入山料は大人300円、小人200円。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR両毛線・東武日光線の栃木駅から、ふれあいバス寺尾線の終点「出流観音」下車、徒歩約10分。 車の場合は東北自動車道・栃木ICから約33分、北関東自動車道・佐野田沼ICから約39分。 専用駐車場50台。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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