この寺について
天長元年(824)、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の開山と伝わる天台宗の古刹。山号は華林山(かりんざん)、院号は最上院。「慈恩寺観音」として親しまれ、坂東三十三観音第12番札所。本尊は千手観世音菩薩。境内の玄奘塔(げんじょうとう)には、中国・唐時代の高僧玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、「西遊記」の三蔵法師のモデル)の遺骨の一部が納められており、寺名が玄奘ゆかりの長安・大慈恩寺にちなむことから、この地が受け入れ先に選ばれたと伝わる。
歴史・由来
この寺を読み解く鍵は、遠く離れた中国・唐(とう)の時代の高僧の物語と、この寺の名前が結びついているという点にある。
社伝によれば、天長元年(824)、下野国(現在の栃木県)出身の天台宗の僧・慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地を開いたという。円仁は後に唐(中国)に渡って仏教を学び、比叡山延暦寺の第3代天台座主(てんだいざす)となった人物で、その入唐中に学んだ長安(現在の西安)の大慈恩寺にちなんで、この寺は「慈恩寺」と名付けられたと伝わる。
戦国時代には、岩槻城主・北条氏房(ほうじょううじふさ)の家臣・伊達与兵衛(だてよへえ)が、天正17年(1589)に南蛮鉄灯籠(なんばんてつどうろう)を寄進しており、城主家からの信仰を集めていたことがうかがえる。江戸時代に入ると、関東に入った徳川家康から天正19年(1591)に寺領100石が寄進され、徳川家からも手厚い保護を受けた。現在の本堂は天保14年(1843)の建立で、本尊は寛永年間(1624〜1645)に天海僧正(てんかいそうじょう)が比叡山から招いたものと伝わる。
この寺の名を一躍知られたものにしたのが、境内に立つ玄奘塔である。昭和17年(1942)、日本軍が中国・南京で稲荷神社建立のための整地作業中に、偶然、玄奘三蔵の頭骨とみられる遺骨を発見した。遺骨は一度中国側に返還されたのち、日本への分骨が提案され、東京の増上寺で仮に安置されたのち、慈恩寺へ移された。長安の大慈恩寺にゆかりの深いこの寺が受け入れ先として選ばれ、昭和28年(1953)に十三重の石塔「玄奘塔」が完成し、遺骨が正式に納められた。その後、遺骨の一部は台湾の玄奘寺(1955)や奈良の薬師寺(1981)にも分けられている。中国の高僧の物語が、時代と国境を越えてこの寺にたどり着いた、稀有な歴史である。
見どころ・特徴
【玄奘塔(げんじょうとう)】十三重の石塔で、中国の高僧玄奘三蔵の遺骨の一部が納められている。「西遊記」の三蔵法師のモデルとして知られる人物の遺骨が、遠く離れた埼玉の寺に安置されているという、世界的にも珍しい聖地である。
【本堂】天保14年(1843)建立。本尊の千手観世音菩薩は、寛永年間に天海僧正が比叡山から招いたと伝わる。
【南蛮鉄灯籠(なんばんてつどうろう)】天正17年(1589)、当時の岩槻城主・北条氏房の家臣が寄進したと伝わる灯籠で、市の指定文化財となっている。
【桜】境内は4月に桜の名所となる。2024年には開山1200年を記念し、本尊の御開帳と二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)の特別展示も行われた。
【訪ねかた】近隣には岩槻城跡や、「人形の街」として知られる岩槻の町並みもあり、あわせて訪れるのもおすすめである。
学び・特徴
主祭神
千手観世音菩薩
社格
天台宗。山号は華林山、院号は最上院。坂東三十三観音第12番。
創建
天長元年(824)、慈覚大師円仁の開山と伝わる
ご利益
健康・病気平癒厄除け
テーマ
桜
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139-1
参拝時間
8時から17時まで。拝観料は無料です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
東武アーバンパークライン「豊春駅」西口から徒歩25分ほど。さいたま市コミュニティバスの「慈恩寺観音」バス停からも行けますが、路線・時刻は変更されることがあるため、お出かけ前にさいたま市の公式サイトでご確認ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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