この寺について
和歌山県湯浅町、湯浅湾を見下ろす白上山(しらかみやま)の中腹に建つ真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)の寺です。鎌倉時代の名僧・明恵上人(みょうえしょうにん)が若いころ修行したこの山に、寛喜3年(1231年)、地元の武士・湯浅景基(ゆあさかげもと)が寺を建てて上人に寄進しました。寺の名は「無畏(むい)を施す」——人のおそれを取りのぞく、という意味です。本堂・開山堂・鐘楼・鎮守社の四棟が和歌山県の文化財に指定され、山門の前からは湯浅湾に浮かぶ島々を一望できます。
歴史・由来
この寺を読み解く鍵は、明恵上人という一人の僧と、湯浅党(ゆあさとう)という武士団の結びつきです。
【若き明恵が山にこもった】
明恵上人は承安3年(1173年)、いまの有田川町に生まれた僧です。のちに京都の高山寺(こうざんじ)を再興し、鎌倉時代を代表する学僧となりました。その明恵が建久6年(1195年)、二十代のはじめに草庵を結んで修行したのが、この寺の背後にあたる白上の峰でした。海に突き出た山の上で、若い僧はひとり経典と向き合っていたことになります。
【「おそれを施さない」寺】
それから三十数年後の寛喜3年(1231年)、明恵の親族にあたる湯浅景基(藤原景基)が、上人ゆかりのこの山に寺を建て、明恵を開山として迎えます。景基は寺の一帯で生き物を殺さないことを誓いました。「無畏を施す寺」という名は、ここから生まれています。落慶の供養は同じ年の4月17日に営まれました。
【武士団をつなぐ寺として】
寺を建てた湯浅氏は、紀伊の有田一帯に勢力を張った武士団・湯浅党の中心にいた一族です。湯浅党は「郡内一家」「一家同心」を合い言葉に結束し、施無畏寺はその信仰上の要となりました。最盛期には六つの坊を従えたといいます。
【焼けて、よみがえる】
戦国時代の天正年間(1573年から1592年)、寺は兵火にあって焼け落ちます。これを立て直したのが、紀州徳川家の初代・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)でした。いま建つ堂宇は江戸時代に順に再建されたもので、開山堂が明暦元年(1655年)、本堂が貞享3年(1686年)、鐘楼には正徳3年(1713年)の銘が残ります。
【山に残る石の卒塔婆】
明恵の没後、嘉禎2年(1236年)に弟子の喜海(きかい)らが、上人の修行した草庵の跡七か所と生まれた土地に、木の卒塔婆を建てて遺徳をしのびました。康永3年(1344年)にこれが石造に改められ、いま七か所が残っています。「明恵紀州遺跡率都婆(みょうえきしゅういせきそとば)」として昭和6年(1931年)に国の史跡に指定され、そのうち西白上遺跡・東白上遺跡は、この寺の背後の白上山にあります。
見どころ・特徴
【本堂】貞享3年(1686年)の再建。正面三間の堂で、内部の組み方に工夫が凝らされています。和歌山県指定文化財。
【開山堂】明暦元年(1655年)の建立。境内でもっとも古い建物で、方三間の宝形造(ほうぎょうづくり)です。和歌山県指定文化財。
【鐘楼】正徳3年(1713年)の銘が残る一間の鐘楼。和歌山県指定文化財。
【鎮守社】18世紀の建立。春日造(かすがづくり)の社殿で、細やかな彫刻が施されています。和歌山県指定文化財。
【紙本墨書施入状・紙本墨書置文】明治37年(1904年)に指定された国の重要文化財。寺が建てられたときの寄進の経緯を伝える古文書です。
【木造明恵上人坐像】開山である明恵の姿を伝える像。和歌山県指定文化財(平成17年指定)。
【石造宝篋印塔】和歌山県指定文化財(昭和53年指定)。
【貞元華厳経】明恵が深く学んだ華厳経の古写本。和歌山県指定文化財(平成27年指定)。
【湯浅湾の眺め】山門の前に立つと、湯浅湾と、海に浮かぶ刈藻島(かるもじま)・鷹島(たかしま)が見渡せます。刈藻島は明恵が渡ったと伝わる島で、「明恵上人遺跡刈藻島」として和歌山県の史跡に指定されています。
【桜】境内と周辺に約100本のソメイヨシノが植えられ、春には寺へ続く坂道が花に包まれます。
【白上の遺跡】寺の背後の白上山には、明恵が草庵を結んだ跡に建つ石の卒塔婆(西白上遺跡・東白上遺跡)が残ります。国の史跡です。
【訪ねかた】寺へは坂道を登ります。桜の時期は、のぼりながら花を眺めるのが気持ちのよい道です。白上の遺跡まで足をのばすなら、歩きやすい靴で出かけてください。
学び・特徴
主祭神
千手観世音菩薩
社格
真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)。山号は補陀落山(ふだらくさん)。
国の重要文化財(古文書)に、紙本墨書施入状と紙本墨書置文の2件(明治37年8月29日指定)。
国の史跡に、明恵紀州遺跡率都婆(西白上遺跡・東白上遺跡/昭和6年6月3日指定)。
和歌山県の指定文化財に、本堂・開山堂・鐘楼・鎮守社の4棟(平成9年4月23日)、石造宝篋印塔(昭和53年8月18日)、施無畏寺文書37通(同)、高山寺明恵上人行状4冊(同)、崎山家文書(平成14年5月21日)、紙本淡彩施無畏寺境内絵図(同)、木造明恵上人坐像(平成17年5月31日)、貞元華厳経4帖(平成27年1月15日)。
創建
寛喜3年(1231年)、湯浅景基(藤原景基)が、明恵上人の修行地であるこの山に寺を建てて上人に寄進し、開山として迎えました。落慶の供養は同じ年の4月17日に営まれています。
なお一部の辞典は建久年間(1190年から1199年)の創建としますが、これは明恵が白上に草庵を結んだ建久6年(1195年)を指すとみられます。
ご利益
厄除け健康・病気平癒
基本情報
住所
和歌山県有田郡湯浅町栖原1465
参拝時間
拝観料はかかりません。山門の前から湯浅湾を眺めるだけでも訪ねる値打ちのある場所です。
堂内の拝観や文化財の見学を希望するときは、事前に寺へ直接お問い合わせください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR紀勢本線「湯浅駅」からバスで約6分、栖原方面へ。
車の場合、湯浅御坊道路「湯浅インターチェンジ」から約10分、「広川インターチェンジ」から約15分です。駐車場は5台から10台ほどとめられます。
寺へは坂道を登ります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
記録を確認中...