TabiShiri
寺 御朱印 京都市左京区

南禅寺

なんぜんじ

この寺について
臨済宗南禅寺派(りんざいしゅうなんぜんじは)の大本山(だいほんざん)です。正応4年(1291)、亀山法皇(かめやまほうおう)が離宮を禅寺に改め、無関普門(むかんふもん)を開山(かいさん)に迎えて開かれました。国宝の方丈(ほうじょう)、重要文化財の三門、国宝の水路閣(すいろかく)などがあり、鎌倉時代に始まる禅寺の歴史と、明治の土木遺産をあわせて見ることができます。

歴史・由来

この寺を理解する鍵は、天皇家の離宮が禅寺になり、焼失と再建、そして明治の変化を重ねて今に続いている、という流れです。 【離宮から禅寺へ】 亀山法皇(かめやまほうおう、第90代亀山天皇)は、正応2年(1289)に離宮の禅林寺殿(ぜんりんじでん)で出家して法皇となりました。正応4年(1291)、この離宮を禅寺とし、無関普門(むかんふもん、大明国師〈だいみんこくし〉)を開山(かいさん、最初の住職)に迎えたのが南禅寺の始まりです。無関普門はその年の12月に亡くなり、翌年に規庵祖圓禅師が第2世となりました。離宮には寺の建物がなかったため、規庵禅師が約15年をかけて整え、「創建開山」とも呼ばれます。 【五山之上という格式と焼失】 室町時代、南禅寺は京都五山・鎌倉五山の上に位置づけられ、「五山之上」の格式を持つ寺になりました。位置づけられた年は、至徳3年(1386)とする辞典と、永徳3年(1383)ごろとする辞典があり、資料によって異なります。応仁元年(1467)の兵火(応仁の乱)で全山が焼けたとされています。 【江戸時代の再建】 江戸時代の初め、以心崇伝(いしんすうでん)らが豊臣秀吉・徳川家康の援助を受けて再興を進めました。大方丈は慶長16年(1611)に御所の建物を下賜(かし)されて再建され、小方丈は寛永年間(1624〜1644)の建築で、伏見城の遺構と伝わります。三門は永仁3年(1295)に西園寺実兼(さいおんじさねかね)の寄進で創立されたあと、寛永5年(1628)に藤堂高虎(とうどうたかとら)が大坂夏の陣で亡くなった家臣の菩提(ぼだい)を弔うために再建しました。法堂(はっとう)は文明11年(1479)ごろに復興され、慶長11年(1606)に豊臣秀頼の寄進で大改築されましたが、明治28年(1895)の火災で焼け、現在のものは明治42年(1909)の再建です。 【明治以降の変化】 明治4年(1871)の上知(あげち)で、今の境内地を除く寺領が収められ、明治11年(1878)の合寺令(ごうじれい)で塔頭(たっちゅう)25院のうち17院が統廃合されました。一方で、明治21年(1888)に水路閣が完成し、明治23年(1890)には琵琶湖疏水(びわこそすい)が竣工しました。明治28年(1895)以降は旧境内地や塔頭の跡地が民間に払い下げられ、無鄰菴(むりんあん)の造営を始まりとして、周辺に別邸が建てられていきました。

見どころ・特徴

【三門(重要文化財)】 寛永5年(1628)に藤堂高虎(とうどうたかとら)が再建した、高さ約22メートルの門です。形は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)です。歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で石川五右衛門が見得(みえ)を切る場面で知られます。楼上の内陣には、宝冠釈迦座像(ほうかんしゃかざぞう)が本尊として安置されています。三門の拝観料は方丈庭園とは別に定められています(料金は参拝時間の欄を参照)。 【方丈(国宝)】 大方丈は慶長16年(1611)に御所の建物を下賜されて再建されたものです。寺では天正年間の内裏の清涼殿(せいりょうでん)を移したと伝え、女院御所(にょいんごしょ)の対面御殿(たいめんごてん)を移したという説もあります。小方丈は寛永年間の建築で、伏見城の遺構とされます。小方丈の「虎の間」には、狩野探幽(かのうたんゆう)の筆と伝わる「群虎図」(重要文化財)40面があります。大方丈の障壁画(重要文化財)は傷みが進んだため、現在は描き起こして復元した84面が公開されています。 【方丈庭園(国指定名勝)】 大方丈の前に広がる枯山水(かれさんすい)の庭で、「虎の子渡しの庭」とも呼ばれ、小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作と伝わります。 【法堂(はっとう)】 天井には、今尾景年(いまおけいねん)が描いた蟠龍(ばんりゅう)があります。公式サイトでは、景年の生涯を代表する大作として紹介されています。 【水路閣(国宝)】 境内を横切る煉瓦(れんが)造の水路橋で、琵琶湖疏水の分線の一部です。明治21年(1888)に完成し、設計は田邉朔郎(たなべさくろう)です。半円アーチが連なる姿で、古い禅寺の景色の中に溶け込んでいます。令和7年(2025)8月27日付の官報で、琵琶湖疏水の施設とともに国宝に指定されました。水路閣は京都市が所有しています。 【塔頭と南禅院】 金地院(こんちいん)の方丈前庭「鶴亀の庭」は、小堀遠州の作と伝わる枯山水で、国指定の特別名勝です。天授庵(てんじゅあん)は暦応2年(1339)に虎関師錬(こかんしれん)が無関普門の塔所(とうしょ、墓所)として建てた塔頭で、池を中心にした庭と枯山水の庭の二つがあります。南禅院は亀山法皇の離宮の跡で、南禅寺の発祥の地とされ、鎌倉時代末の池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園が国指定の史跡及び名勝になっています。南禅院は現在、拝観を停止しています(令和9年春まで、工事期間の延長のため)。
年中行事・お祭り
【写経会(しゃきょうえ)】毎月15日(8月はお休み) 龍渕閣で、般若心経(はんにゃしんぎょう)の唱和、法話、写経を行います。受付は12時から13時10分の間で、納経料は1,000円、写経の道具は不要です。 【暁天坐禅(ぎょうてんざぜん)】第2・第4日曜日(8月はお休み。12月の第4日曜と1月の第2日曜もお休み) 6時から坐禅と10分間の法話があり、7時に終わります(11月から3月は6時30分から7時30分)。無料です。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

作品ゆかり
歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、石川五右衛門が見得(みえ)を切る場面の舞台として知られるのが、南禅寺の三門です。
学び・特徴
本尊
釈迦牟尼仏
宗派・寺格
臨済宗南禅寺派の大本山。京都五山・鎌倉五山の上に位置づけられた「五山之上」の格式を持つ。
創建
正応4年(1291)。亀山法皇が離宮を禅寺に改め、無関普門を開山に迎えて開創。
ご利益
厄除け学業・合格
テーマ
紅葉庭園
基本情報
住所
京都府京都市左京区南禅寺福地町
参拝時間
3月1日から11月30日は8時40分から17時まで、12月1日から2月末日は8時40分から16時30分までです。受付は終了の20分前までです。12月28日から31日は一般の拝観をお休みし、年始はお休みなく拝観できます。 拝観料(志納金、個人)は、方丈庭園と三門がそれぞれ一般600円、高校生500円、小中学生400円です。南禅院は一般500円、高校生450円、小中学生350円ですが、現在は拝観を停止しています(令和9年春まで)。 時間・料金・拝観の可否は変更される場合があります。お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
地下鉄東西線「蹴上(けあげ)」駅から徒歩約10分です。「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルを抜けると近道になります。市バスは「東天王町」または「南禅寺・永観堂道」から徒歩約10分です。 車は京都東インターチェンジから三条方面へ約6キロです。駐車場は境内の第1駐車場で、乗用車は2時間以内1,000円、以後1時間ごとに500円です。11月中旬から12月中旬は、バス専用になる場合があります。料金や利用条件は変更される場合があるため、公式サイトでご確認ください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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