この寺について
寛永2年(1625)創建、徳川家光開基。天台宗関東総本山。徳川将軍家の菩提寺の一つで、上野の山一帯が広大な境内であった。
歴史・由来
徳川将軍家の菩提寺の二大柱の一つ(増上寺と並ぶ)。寛永2年(1625)、天海大僧正(てんかいだいそうじょう)が、3代将軍・徳川家光の発願で創建した、江戸の鬼門(北東)を守る天台宗の大寺院。
天海は、徳川家康・秀忠・家光の3代将軍に仕えた「黒衣の宰相」とも呼ばれる稀代の政僧。家康死後の久能山→日光への改葬を主導、家康を「東照大権現」として神格化したのも天海。寛永寺は、その天海が江戸の精神的支柱として築いた、徳川幕府の宗教戦略の中核。
「寛永」の名は創建の年号、山号「東叡山(とうえいざん)」は「東の比叡山」の意。京都の比叡山延暦寺が平安京の鬼門を守ったのと同じく、寛永寺は江戸の鬼門を守る役割を担った。
最盛期、寛永寺の境内は現在の上野公園のほぼ全域(約30万坪)に及び、子院36坊、所領11,790石を擁する巨大宗教都市。歴代徳川将軍15代のうち、4代家綱・5代綱吉・8代吉宗・10代家治・11代家斉・13代家定の6人がここに葬られた。
慶応4年(1868)5月15日、戊辰戦争の「上野戦争」で、彰義隊(旧幕府軍)が寛永寺に立てこもり、官軍と激戦。寛永寺の伽藍はほぼ全焼した。江戸の終焉と寛永寺の終焉が、まさに同時に起きた。
明治期、寛永寺跡地は「上野公園」として整備、博物館・美術館・動物園などが立ち並ぶ、東京の文化中心地となった。
現在の寛永寺は、明治12年(1879)、子院・大慈院の地に再興された小規模な寺。だが旧寛永寺の遺構(清水観音堂、上野東照宮、五重塔など)は上野公園内に点在し、往時の威容を偲ばせる。
見どころ・特徴
JR・東京メトロ「上野」駅徒歩約15分、または「日暮里」駅徒歩約10分。
「根本中堂(本堂)」(明治12年/1879再建)は、現在の寛永寺の本堂。比較的小規模だが、本尊・薬師如来坐像(重要文化財)は平安期の名仏。
「徳川将軍家墓所」は、本堂のすぐ裏。6人の将軍と、その正室・側室・子女ら計38名の墓が並ぶ。通常非公開、特別拝観時のみ立ち入り可能。
「上野公園内の寛永寺遺構」を巡るのが定番:
- 「清水観音堂」(重要文化財、寛永8年/1631築):京都・清水寺を模した「懸造」の小さな観音堂。
- 「上野東照宮」(重要文化財、慶安4年/1651再建):徳川家康・吉宗・慶喜を祀る。金箔をふんだんに用いた華麗な権現造。
- 「旧寛永寺五重塔」(重要文化財、寛永16年/1639築):上野動物園内に立つ。動物園入場料が必要。
- 「上野大仏(パゴダ)」:関東大震災・戦災で胴体を失い、顔のみが残る。「これ以上落ちない」として受験合格祈願の聖地。
「上野桜まつり」(3月下旬〜4月上旬)は、寛永寺の境内に植えられた約1,200本の桜が、日本の春の風物詩。8代将軍・吉宗が植えた桜が、現代の上野花見文化のルーツ。
参拝後は、上野動物園・東京国立博物館・国立科学博物館・上野の森美術館と組み合わせて、文化と歴史を一日で堪能できる。
基本情報
住所
東京都台東区上野桜木1-14-11
参拝時間
9:00〜17:00
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR「鶯谷」駅北口より徒歩5分
公式サイト
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
記録を確認中...