
この寺について
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、東京にいちばん多くの人を集め続けてきた「都内最古の寺」という事実そのものにある。伝承によれば、推古天皇36年(628年)、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の網に、一体の観音像がかかった。二人の主人だった土師中知(はじのなかとも)はこれを深く敬い、自宅を寺に改めて像を祀った。これが浅草寺のはじまりと伝えられている。
大化元年(645年)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がここに観音堂を建て、この本尊を絶対の秘仏とする決まりを定めた。以来1300年以上、この聖観世音菩薩像は、住職でさえ目にすることのない秘仏として守られている。像の大きさは「一寸八分(いっすんはちぶ、約5.5センチ)」との言い伝えがあるが、これは江戸時代からの俗説であり、確かな記録ではない。天安元年(857年)には、比叡山延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が参拝者のために「お前立ち」の観音像を造り、秘仏本尊に代わって拝めるようにした。
鎌倉時代から室町時代にかけては、源頼朝をはじめとする武家の崇敬を集めた。そして天正18年(1590年)、江戸に入った徳川家康は、浅草寺を将軍家の祈願所と定め、寺領500石を寄進した。以後、浅草寺は「江戸の総鎮守」というべき存在となり、3代将軍・徳川家光の援助で慶安元年(1648年)に五重塔が、翌年に本堂が建て直されるなど、たびたび整備が重ねられた。
しかし昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で、本堂(観音堂)・五重塔・仁王門(現在の宝蔵門)・経蔵などが焼け落ちてしまう。本尊は事前に地中に埋められていたため難を逃れたと伝わる。このとき、江戸前期の1649年ごろに建てられた二天門(にてんもん)だけは焼失をまぬがれ、今も重要文化財として境内に立っている。
戦後、本堂は昭和33年(1958)、宝蔵門は昭和39年(1964)、五重塔は昭和48年(1973)と、時間をかけて鉄筋コンクリート造で再建された。寺の顔ともいえる雷門にいたっては、慶応元年(1865年)の火災で焼けて以来じつに95年ものあいだ姿を消していたが、昭和35年(1960)、松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助が、持病の治癒のお礼にと私財を投じて再建した。
こうして幾度もの火事と戦災を乗り越えながら、浅草寺は今日も「東京で最も古く、最も多くの人が集まる寺」として、年間約3000万人ともいわれる参拝者を迎え続けている。
見どころ・特徴
【雷門(風雷神門)】浅草寺の代名詞ともいえる総門。直径3.3メートル、重さ約700キログラムの大提灯が中央に下がり、その下を毎日大勢の観光客が通り抜ける。両脇には風神・雷神の像が立つ。江戸時代から何度も火事で焼けており、慶応元年(1865年)の火災のあとは95年間再建されなかったが、昭和35年(1960)、松下電器(現パナソニック)の松下幸之助の寄進によって現在の姿になった。
【仲見世通り】雷門から本堂まで、約250メートル続く参道の商店街。江戸時代から330年ちかく続くといわれ、人形焼や雷おこしなど江戸の名物を売る店が、約90店舗も軒を連ねる。
【宝蔵門(旧仁王門)】昭和39年(1964)、大谷米太郎夫妻の寄進で再建された門。両脇に金剛力士像(仁王像)が立ち、背面には巨大な大わらじが掛けられている。国の重要文化財「元版一切経」もここに収められている。
【二天門】江戸前期の1649年ごろに建てられ、東京大空襲の焼失をまぬがれた、境内でもっとも古い建物のひとつ。国の重要文化財に指定されている。
【本堂(観音堂)】昭和33年(1958)、戦災から再建された鉄筋コンクリート造。秘仏本尊の聖観音像を納めた内陣に向かって、参拝者は外陣から手を合わせる。
【五重塔】昭和48年(1973)再建、高さ約53メートル。もとは本堂の東側にあったが、現在は本堂の南西に立っている。最上層にはスリランカのイスルムニヤ寺院から昭和41年(1966)に納められた仏舎利(釈迦の遺骨)が安置されている。
【奥山・淡島堂・影向堂など】境内には、奥山(おくやま)、淡島堂(あわしまどう)、影向堂(ようごうどう)をはじめ、数多くの堂宇が点在する。御朱印は本堂西側の影向堂で受け付けている。
年中行事・お祭り
【四万六千日・ほおずき市】例年7月9日・10日
この日に参拝すると4万6千日分お参りしたのと同じご利益があるとされ、境内にほおずきを売る露店が並ぶ、夏の風物詩。
【三社祭】例年5月
隣接する浅草神社の祭礼で、浅草の町を神輿が練り歩く、江戸随一ともいわれる賑やかな祭り。
【金龍の舞】例年3月18日・10月18日
開創にちなんだ舞が本堂前などで奉演される。
【羽子板市】例年12月17日から19日
「納めの観音」の縁日にあわせて開かれる、正月の縁起物・羽子板を売る市。
【節分会】例年2月の節分の日
季節の変わり目を祝う行事。
【除夜の鐘】例年12月31日
境内の弁天山で撞かれる。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
ゆかりの食・参道の名店3 件
人形焼
浅草寺仲見世通りの代表的な名物。カステラ生地に餡を入れて焼き上げ、雷様・五重塔・鳩・提灯など浅草の名物を象った可愛らしい形で親しまれる。「木村家本店」「浅草人形焼三鳩堂」など複数の老舗が仲見世に並び、焼きたてを立ち食いできる。雷おこし(常盤堂雷おこし本舗)
雷門の名を冠した米菓子。1795年(寛政7年)創業。もち米を蒸して乾かし、砂糖・水飴で固めた素朴な菓子で「名を興し、家を興し、国を興す」の願いから「おこし」と呼ばれる。揚げまんじゅう(浅草九重)
仲見世の中程、揚げたての熱々を頬張るのが浅草の楽しみ。抹茶・カスタード・胡麻など種類豊富。
※ 営業時間・定休日は変わることがあります。各店の公式情報でご確認ください。
学び・特徴
主祭神
聖観世音菩薩
社格
かつては天台宗に属していたが、昭和25年(1950)に独立し、現在は聖観音宗の総本山となっている。徳川将軍家の祈願所でもあった。
創建
推古天皇36年(628)、聖観音像が隅田川で見つかったことにはじまると伝わる。大化元年(645)、勝海上人が観音堂を建て、本尊を絶対秘仏と定めた。
ご利益
開運商売繁盛厄除け
テーマ
パワースポット
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都台東区浅草2-3-1
参拝時間
本堂の開堂時間は6時から17時までです(10月から3月は6時30分から)。境内そのものへの出入りは自由で、拝観料はかかりません。御朱印は、本堂西側の影向堂(ようごうどう)で午前8時から午後4時30分まで受け付けています(正月や四万六千日などは時間が変わります)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草」駅、またはつくばエクスプレス「浅草」駅から徒歩5分ほどです。
東武スカイツリーラインの浅草駅からも徒歩5分から10分ほどで着きます。
雷門をくぐった先の仲見世通りを進むと本堂に着きます。境内は基本的に自由に出入りできます。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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