
Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons
この神社について
赤城山(あかぎやま)の山頂、カルデラ湖である大沼(おの)に突き出た小鳥ヶ島(ことりがしま)に鎮座します。湖面に映る朱塗りの社殿が美しく、群馬を代表する山岳信仰の聖地として知られます。祀るのは山の神・赤城大明神(あかぎだいみょうじん)と沼の神。悲しい運命をたどった赤城姫(あかぎひめ)の伝説が伝わり、女性の願いをかなえてくれる神社として参拝者を集めています。
歴史・由来
赤城神社を読み解く鍵は、社(やしろ)が動いてきたことにあります。
この神社が祀るのは、赤城山そのものと、山頂のカルデラ湖・大沼です。山の神である赤城大明神と、沼の神である赤沼大神(あかぬまのおおかみ)が、古くから一対で祀られてきました。社伝では、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が上毛野(かみつけの、いまの群馬県)を治めることになったとき、山と沼の霊を祀ったのが始まりとされます。社殿が建てられたのは允恭天皇(いんぎょうてんのう)・用明天皇(ようめいてんのう)の御代と伝わりますが、創建の年ははっきりしていません。
はじめに祀られていたのは神庫山(ほくらやま、のちの地蔵岳)の中腹だったといいます。大同元年(806)、社は大沼の南の岸へ移されました。この年号にちなんで、あたりは「大洞(だいどう)」と呼ばれるようになり、神社も「大洞赤城神社」の名で呼ばれるようになります。
平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』には、上野国勢多郡の名神大社(みょうじんたいしゃ)として「赤城神社」の名が見えます。ただしそれがどの社を指すのかは決着しておらず、山頂のこの社のほかに、山腹の三夜沢(みよさわ)赤城神社、山麓の二宮(にのみや)赤城神社が候補に挙がります。
南北朝時代の説話集『神道集(しんとうしゅう)』には、おもしろい話が残ります。赤城大明神はもともと上野国の一宮だったが、機織(はたお)りの糸が足りなくなったとき抜鉾(ぬきほこ)大明神から借りたため、財の神である抜鉾大明神に一宮を譲り、自分は二宮になった——赤城神社が上野国二宮とされる由来を語る物語です。
江戸時代に入ると、慶長六年(1601)に厩橋(まやばし、のちの前橋)城主となった酒井重忠(さかいしげただ)が、城の鬼門(きもん)にあたるこの社を篤く信仰しました。次の藩主・酒井忠世(さかいただよ)は、相殿(あいどの)に徳川家康を祀ります。寛永十八年(1641)に社殿が落雷で全焼すると、酒井忠清(さかいただきよ)が新しく建て直しました。旧暦四月八日の山開き祭には「赤城詣で」として関東一円から参拝者が集まったといいます。
明治以降は、赤城山の厳しい気候で傷んだ社殿をどう建て替えるかが長年の課題でした。そして昭和四十五年(1970)、社地はついに湖に突き出た小鳥ヶ島へ移されます。いま湖面に映る朱塗りの社殿は、このときのものです。平成十八年(2006)、大洞への遷宮から千二百年を記念して大きな修復が行われました。
見どころ・特徴
【湖に映る朱の社殿】小鳥ヶ島は大沼に突き出た小さな半島で、社殿はその先端近くに建ちます。朱塗りの社殿と青い湖、背後の山という取り合わせが、季節や時間によってまったく違う表情を見せます。朝霧に包まれた社殿は、この神社を代表する光景として知られます。
【赤城姫の伝説】『神道集』に載る「赤城山三姫物語」が伝わります。無実の罪で流された高野辺大将家成(たかのべのだいしょういえなり)の三人の娘が、継母(ままはは)に命を狙われ、姉の淵名姫(ふちなひめ)は利根川に沈められてしまいます。赤城山へ逃げた次女の赤城姫は、大沼の龍神に助けられ、のちに赤城大明神になったと語られます。この物語から、赤城神社は女性の願いをかなえてくれる神社として信仰されてきました。
【御神体は赤城山】社殿の向こうにそびえる赤城山そのものが御神体です。榛名山・妙義山とともに「上毛三山(じょうもうさんざん)」と呼ばれ、最高峰の黒檜山(くろびさん)は標高1,828メートル。中世には修験者(しゅげんじゃ)が登って修行する山として栄えました。
【湖底から出た鏡】大沼・小沼(この)には、鏡を湖に沈めて祈る「納鏡(のうきょう)」という神事が古くからあり、千面を超える銅鏡が見つかっています。小鳥ヶ島でも南北朝時代の経塚が見つかり、応安五年(1372)銘の宝塔の下から経筒の残欠(ざんけつ)と鏡十面が出土しました。これらは「小鳥が島出土鏡」として群馬県の重要文化財に指定されています(群馬県立歴史博物館の所蔵・展示で、神社では見られません)。
【赤城山三所明神】『神道集』は、赤城山の神を三柱一組でとらえています。大沼を祀る赤城明神(本地仏は千手観音〈せんじゅかんのん〉)、小沼を祀る小沼明神(本地仏は虚空蔵菩薩〈こくうぞうぼさつ〉)、地蔵岳を祀る覚満大菩薩(かくまんだいぼさつ、本地仏は地蔵菩薩)。湖と山がひとつの信仰としてつながっていたことがわかります。
【大洞の旧社地】昭和四十五年まで社殿があった大洞の旧社地は、いまも湖の対岸に残ります。鳥居や御神水、弁天宮などがあり、千二百年近くこの神社があった場所の空気を確かめられます。
【山麓の大鳥居】赤城山のふもと、前橋市富士見町小暮の交差点には、高さ21.3メートル・幅28メートルの大鳥居が立っています。赤城山へ向かう道の入口を示す門です。
年中行事・お祭り
【歳旦祭】例年1月1日
新年を迎える祭りです。
【山開き祭・例大祭】例年5月8日
一年でもっとも大きな祭り。前日の5月7日には清祓(きよはらい)の神事が行われます。江戸時代には旧暦四月八日のこの祭りに合わせ、「赤城詣で」として関東一円から参拝者が集まりました。旧暦4月8日には卯月八日祭・鎮花祭(ちんかさい)も行われます。
【夏祭】例年8月の第1土曜日
【湖水祭】例年8月8日
沼の神を祀り、湖を鎮める神事です。この神社が「山と沼」の両方を祀ってきたことを今に伝えています。
【秋祭】例年10月
秋の大きな祭りです。
【新嘗祭・神無月祭】例年11月23日
その年の実りに感謝する祭りです。
このほか、祈年祭(2月17日)、献花祭(4月1日)、孟夏神御衣祭(6月1日)、大祓・道饗祭・鎮火祭(6月30日と12月1日)、祖霊祭(8月13日むかえ祭・16日おくり祭)、季秋神御衣祭(10月1日)などが営まれます。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
作品ゆかり
南北朝時代に成立した説話集『神道集(しんとうしゅう)』は、赤城大明神についての話を三つ載せています。上野国一宮を抜鉾大明神に譲って二宮になったという話(巻第七 36話)、高野辺大将家成と三人の娘の悲話を語り、大沼と小沼の湖畔にそれぞれ祠(ほこら)を建てて祀ったとする話(巻第七 40話)、僧・覚満(かくまん)にまつわる話とあわせて「赤城山三所明神」を説く話(巻第八 43話)です。40話は赤城神社の所在地がわかる最古の記録でもあり、赤城姫の伝説のもとにもなりました。
学び・特徴
主祭神
赤城大明神大国主命磐筒男神磐筒女神経津主神豊城入彦命
社格
『延喜式神名帳』に名神大社として載る「上野国勢多郡 赤城神社」の論社(ろんしゃ、候補となる神社)のひとつ。上野国二宮の論社でもあります。論社は当社のほか、山腹の三夜沢赤城神社、山麓の二宮赤城神社。旧社格は村社。全国におよそ300社あるとされる赤城神社のうち、総本宮とされるのは三夜沢赤城神社か当社のどちらかで、江戸時代には両社のあいだで「本社」「本宮」の呼び名をめぐる争いも起きました。
創建
創建の年は不詳。社伝では、豊城入彦命が上毛野を治めることになったとき、赤城山と大沼の霊を祀ったのが始まりとされ、允恭天皇・用明天皇の御代に社殿が建てられたと伝わります。大同元年(806)に大沼の南岸(大洞の旧社地)へ移り、昭和45年(1970)に現在の小鳥ヶ島へ遷座しました。
ご利益
縁結び心願成就五穀豊穣家内安全
テーマ
山・登拝海・湖畔修験道パワースポット
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
群馬県前橋市富士見町赤城山4-2
参拝時間
境内の参拝は日の出から日没まで。
授与所(御朱印・お守り)の受付は午前9時30分から午後4時30分までです。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【バス】JR両毛線・上越線の前橋駅から関越交通バスで富士見温泉を経由し、「あかぎ広場前」バス停下車、徒歩約5分。乗車時間は約1時間10分です。土曜・日曜・祝日は直通バスが運行されます。
【車】関越自動車道の赤城インターチェンジから、国道353号・県道4号を経由して約1時間。
【駐車場】無料の駐車場があります。利用できるのは午前8時から午後6時までで、夜間は利用できません。
標高1,300メートルを超える山頂の湖畔にあるため、冬は積雪や路面の凍結があります。冬に車で向かうときは、道路状況を事前に確認してからお出かけください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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