TabiShiri
神社 御朱印 大分市

西寒多神社

ささむたじんじゃ

この神社について
大分市の南、本宮山(ほんぐうさん)のふもとに鎮座する豊後国一之宮。平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に、豊後国でただひとつの大社(たいしゃ)として記された古社です。参道の入口には文久二年(1862)に架けられた石造りの万年橋(まんねんばし)が残り、境内には樹齢450年を超えるヤマフジの古木が枝を広げます。5月のふじまつりのころには、1メートルを超える花房(はなぶさ)が垂れ下がります。

歴史・由来

西寒多神社を読み解く鍵は、「山」です。 『大分郡志(おおいたぐんし)』が伝えるところでは、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島から帰る途中、西寒多山(現在の本宮山)に登り、その証(あかし)として山頂に白い旗を立てたといいます。土地の人々はそれを敬い、垣を結んで拝みました。そして応神天皇九年の四月、武内宿禰(たけうちのすくね)が山の上に祠(ほこら)を建てた——これがこの神社のはじまりと伝えられます。つまり西寒多神社は、本宮山そのものを神の宿る山としてうまれた神社でした。 歴史の記録にこの神社が最初にあらわれるのは平安時代です。『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に、西寒多神へ従五位下(じゅごいのげ)の位が贈られたことが記されています。さらに平安時代なかごろの『延喜式神名帳』では、豊後国でただひとつの「大社」に位置づけられました。豊後の国の一宮(いちのみや)として敬われたのも、この格の高さゆえです。 平安時代の後半になると社勢は衰えますが、中世以降はこの地を治めた大友(おおとも)氏の信仰を集めます。そして応永十五年(1408)三月、大友家十代の親世(ちかよ)が、山の上にあった社殿をふもとの現在地へ遷(うつ)しました。もとの場所には、いまも奥宮の本宮神社が残っています。 明治四年(1871)、新しくつくられた社格の制度で国幣中社(こくへいちゅうしゃ)に列し、戦後は神社本庁の別表神社となりました。 なお、豊後国一宮をめぐっては、大分市西部の柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)も一宮を称しています。嘉応三年(1171)の史料に「由原八幡宮」を一宮とするものがあり、中世のあいだに柞原八幡宮が一宮の座へ移っていったという見方が強いようです。一宮を記した古い本でも、『諸国一宮神名帳』は柞原八幡宮を、『大日本国一宮記』は西寒多神社を挙げており、両説が並んでいます。

見どころ・特徴

【万年橋】参道の入口、寒田川(通称みそぎ川)に架かる石造りの単アーチ橋。大分県の有形文化財です。文久二年(1862)、当時は延岡藩の領地だった寒田村の庄屋(しょうや)たちが発起し、岡藩領だった大野郡柴北村(いまの豊後大野市犬飼町柴北)の石工・二代目後藤郷兵衛(ごとうごうべえ)ら20人の手で完成しました。橋の長さ22メートル、幅3.7メートル、アーチの差し渡し11メートル。路面もゆるやかな弧を描く太鼓橋(たいこばし)で、路面とアーチのあいだの石組みが狭いのが特徴です。昭和55年(1980)4月8日の指定。 【樹齢450年のヤマフジ】大分市の天然記念物。一本の古木が大きく枝を広げ、花房は長いもので1メートルを超えます。樹高3.5メートル、幹まわり2.8メートル。昭和49年(1974)1月9日の指定で、大分市の名木にも選ばれています。 【神庫】本殿の右に立つ、校倉造(あぜくらづくり)で入母屋(いりもや)の建物。明治十九年(1886)の造営で、大分市の有形文化財です。昭和49年1月9日の指定。 【西寒多神社の森】境内は2万6千平方メートルを超える広さがあり、その樹林は大分県の特別保護樹林、大分市の名木(樹林の部)に指定されています。樹齢100年あまりの平戸つつじが数百株、境内を彩ります。 【奥宮・本宮神社】この神社が最初に祀られた地と伝わるのが、本宮山の山頂に鎮座する奥宮の本宮神社です。本社の境内から山頂まで、片道およそ2時間の道のりです。 【境内社】厳島神社、菅原社、大分社、繰生社(くりうしゃ)、合併社などが境内に祀られています。 【鬼の歯形岩】境内には、言い伝えにまつわる「鬼の歯形岩」と呼ばれる岩も残ります。 【訪ねかた】藤の見ごろは5月のはじめごろですが、年によって前後します。花を目当てに訪ねるときは、事前に神社へ開花の具合をお問い合わせいただくと確実です。
年中行事・お祭り
【元旦祭】例年1月1日 【厄除星祭】例年2月1日から3日 その年の星をまつり、厄を払う神事です。 【祈年祭】例年3月15日 その年の実りを祈ります。 【本宮春祭】例年3月20日 奥宮の本宮神社の春の祭りです。 【例祭】例年4月15日 一年でもっとも大切な祭りです。33年目ごとの例祭の日には、神さまの衣を新調して納める「御神衣祭(かんみそまつり)」が行われます。また3年目ごとには神幸大祭(ごしんこうさい)が営まれます。 【ふじまつり】例年5月3日から5日 万年橋のそばのフジが見ごろを迎えるころに開かれます。期間中は神殿祭、育木祭、慰霊祭、水神祭、勧学祭が行われます。 【大祓】例年6月30日と12月31日 半年のあいだの穢(けが)れを祓う神事です。 【夏越祭】例年7月の最終日曜 【本宮秋祭】例年10月20日 【新嘗祭】例年11月23日 【除夜祭・古守札焼納祭】例年12月31日 このほか、毎月1日に月次祭(つきなみさい)が行われます。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
西寒多大神天照皇大御神月読尊天忍穂耳命応神天皇神功皇后武内宿禰
社格
『延喜式神名帳』に豊後国大分郡「西寒多神社」として載る式内社で、豊後国でただひとつの大社。豊後国一之宮を称します(大分市西部の柞原八幡宮も一宮を主張しており、両説があります)。明治四年(1871)に国幣中社に列し、戦後は神社本庁の別表神社となりました。
創建
創建の年は定かではありません。社伝では、神功皇后が西寒多山(現在の本宮山)の山頂に白旗を立てたことにはじまり、応神天皇九年四月に武内宿禰が山上に祠を建てたのが創祀とされます(神社の公式サイトはこれを西暦278年としています)。応永十五年(1408)三月、大友家十代の親世が社殿を山麓の現在地に遷しました。
ご利益
五穀豊穣家内安全厄除け学業・合格
テーマ
一宮式内社藤万年橋
基本情報
住所
大分県大分市寒田1644
参拝時間
社務所の受付は午前9時から午後4時30分まで。御朱印やご祈願の受付もこの時間です。 境内の参拝に時間の決まりはありませんが、社務所の閉まったあとは授与品を受けられません。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【バス】大分駅前の3番・4番・5番のりばから、「寒田・ふじが丘」行き、または「光吉・ふじが丘」行きで約30分。「ふじが丘南」バス停で下車し、徒歩約15分です。 【電車】JR豊肥本線の敷戸(しきど)駅から徒歩約30分。 【車】大分駅から約30分、大分自動車道の光吉インターチェンジから約10分。カーナビを使うときは、電話番号ではなく住所で検索してください。 【駐車場】80台。
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

記録を確認中...