TabiShiri
神社 御朱印 上益城郡甲佐町

甲佐神社

こうさじんじゃ

この神社について
阿蘇神社の末社で、「阿蘇四社」の一つに数えられる神社。主祭神は健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子・八井耳玉命(やいみみたまのみこと、甲佐明神)で、肥後国二宮とされる。鎌倉武士・竹崎季長(たけざきすえなが)が奉納したと伝わる国宝「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」ゆかりの社としても知られる。

歴史・由来

この社を理解する鍵は、阿蘇神社を中心とする「阿蘇四社」の一つとして、肥後国南部を守る神社と位置づけられてきたことにある。 甲佐神社の主祭神は、阿蘇神社の祭神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子である八井耳玉命(やいみみたまのみこと、甲佐明神)である。健磐龍命、蒲池比咩命(かまちひめのみこと)、神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)もあわせて祀られている。 創建の時期ははっきりしないが、社伝では古代にさかのぼるとされる。もとは「鏑崎宮(かぶらざきぐう)」と呼ばれていたが、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐から凱旋した際、甲冑をこの社に納めたことから「甲佐宮」と呼ばれるようになったと伝わる。 中世には阿蘇神社の末社となり、阿蘇神社・健軍神社(けんぐんじんじゃ)・郡浦神社(こうのうらじんじゃ)とともに「阿蘇四社」と称された。肥後国の二宮(にのみや)としても位置づけられ、肥後南方を守る神社として崇敬を集めてきた。 甲佐神社を語るうえで欠かせないのが、鎌倉時代の武士・竹崎季長(たけざきすえなが)の逸話である。元寇(げんこう、蒙古襲来)で戦功をあげながら恩賞を得られずにいた季長は、甲佐神社に参詣するようにとのお告げを受けたと伝わる。その後、鎌倉に直訴して地頭職を得た季長は、感謝のしるしとして、自らの戦功を描かせた絵巻物「蒙古襲来絵詞」をこの社に奉納したという。この絵巻物は現在、国宝として宮内庁三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん)に収められている。

見どころ・特徴

【阿蘇四社の一つ】阿蘇神社・健軍神社・郡浦神社とともに「阿蘇四社」に数えられ、肥後国二宮としても崇敬されてきた。 【国宝「蒙古襲来絵詞」ゆかりの地】鎌倉武士・竹崎季長が奉納したと伝わる国宝「蒙古襲来絵詞」。原本は宮内庁三の丸尚蔵館に収められているが、拝殿には地元有志による模写版が絵馬として掲げられている。 【願成桜】季長が神のお告げを受けたという桜の言い伝えにちなみ、境内には「願成桜(がんじょうざくら)」と呼ばれる桜が植えられている。 【甲佐明神の御陵】主祭神・八井耳玉命の墓所と伝わる塚が、社殿のそばに残っている。
年中行事・お祭り
【例大祭】例年10月9日ごろ 秋の実りに感謝する、甲佐神社でもっとも大きな祭り。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
八井耳玉命健磐龍命蒲池比咩命神武天皇媛蹈鞴五十鈴媛命
社格
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された式内社ではない。中世以降、阿蘇神社の末社となり、健軍神社・郡浦神社とあわせて「阿蘇四社」と呼ばれた。肥後国の二宮(にのみや)とされ、近代社格は郷社。
創建
創建の時期は明らかでない。社伝では第8代・孝元天皇(こうげんてんのう)26年(伝承上は紀元前189年ごろ)と伝わるが、あくまで伝承であり史実としては確認できない。
基本情報
住所
熊本県上益城郡甲佐町上揚876
アクセス
かつては熊延鉄道(ゆうえんてつどう)の甲佐駅があったが、昭和39年(1964)に廃止され、現在、甲佐町内に鉄道の駅はない。最寄りのバス停は「上揚」バス停で、徒歩約1分。熊本市中心部からは車で約50分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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