
この神社について
歴史・由来
正式名は「銭洗弁財天宇賀福神社」。
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が、戦乱で荒廃した人々の暮らしを憂えていた文治元年(1185)の巳の月・巳の日・巳の刻のこと。
夢枕に老翁が現れ「西北の谷に湧き出る霊水で神仏を供養すれば、天下泰平が訪れるであろう」と告げた。
頼朝が言葉に従って山を分け入ると、果たして岩窟から清冽な水が湧き出ていた。
そこに宇賀福神(うがふくしん)を祀ったのが、この社の始まりと伝わる。
「宇賀福神」とは、農業神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と弁財天が習合した、いかにも中世らしい福徳神である。
「銭洗い」の風習が始まったのは、文永の世(1264-75)、5代執権・北条時頼の時とされる。
時頼自身がこの霊水で銭を洗い、一族繁栄を祈ったことから、その「ご利益」が市井に広まった。
以来、洗った銭は数倍になって戻ってくると信じられ、江戸期以降、商人や庶民の篤い信仰を集めることになった。
明治の神仏分離で「弁財天」は仏式の名のため、神道の「市杵島姫命」と読み替えるなどの整理が行われたが、奥宮の岩窟と霊水の霊験は今も変わらず、参拝者を迎え続けている。
見どころ・特徴
佐助の谷の最奥、岩を穿った参道トンネルを抜けると、忽然と境内が現れる。山に囲まれた窪地に並ぶ朱の鳥居、湯気のように立ちのぼる線香の煙──まさに別世界。

銭洗弁財天宇賀福神社の入口
参拝の作法は独特。社務所でロウソク・線香・ザル(銭洗いの竹籠)を借り、本社・上之水神宮を参拝した後、奥の洞窟「奥宮」へ。岩窟内に湧く霊水を、ザルに入れた銭にひしゃくで掛けて清める。お札・硬貨どちらでもよいが、ザブザブと洗うのではなく、清めの心持ちで水を注ぐのが正しい作法とされる。

銭洗弁財天宇賀福神社(銭洗弁天)の奥宮
洗った銭は「貯め込まず、有意義に使う」のが鉄則。タンスに仕舞っては福が回らない。生きた金として循環させてこそ、霊験が現れるのだという。
岩窟の奥にひっそりと佇む小さな祠、岩肌を流れる水滴、線香の香り、ロウソクの揺らめき──短い時間でも、まるで密教の修行場に身を置いたような感覚を味わえる。
巳の年・巳の月・巳の日・巳の刻には、ことに参拝者が殺到する。蛇は弁財天の使いであり、財運の象徴とされるためで、運気をかついで訪れる人々の真剣な表情も、また鎌倉らしい風物詩である。


学び・特徴
主祭神
市寸島比売命
創建
建久年間(1190年代、源頼朝創建と伝わる)
ご利益
金運縁結び
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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