タビシリ
史跡東京都指定文化財(工芸品)。伝馬町牢屋敷跡(東京都指定の旧跡)の敷地内。 中央区

石町時の鐘

こくちょうときのかね

別名:銅鐘石町時の鐘

この史跡について
石町時の鐘(こくちょうときのかね)は、東京都中央区の十思公園(じっしこうえん)の中にある鐘楼堂(しょうろうどう)に収められた、銅でできた鐘です。江戸の町で時刻を知らせるために撞(つ)かれた「時の鐘」で、江戸府内で最初に設けられた時の鐘といわれています。 江戸時代には本石町三丁目にあったことから、「石町」の名で呼ばれます。鐘は東京都指定文化財(工芸品)になっています。 十思公園のあたりは、江戸時代に伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)があった場所の一部で、その跡は東京都の旧跡に指定されています。

歴史・由来

江戸の町には、お城のほかにも時刻を知らせる時の鐘がいくつか設けられていました。石町の時の鐘は、江戸府内で最初に置かれた時の鐘とされ、二代将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)の時代に本石町三丁目に設けられたと、中央区は紹介しています。 当時の時刻は、昼と夜をそれぞれ六つに分ける不定時法(ふていじほう)で表され、鐘はおよそ2時間ごとに撞かれました。運営の費用は、鐘の音が聞こえる約410町(ちょう)の家持(いえもち)の町人から、1軒につき1か月4文(もん)の鐘撞銭(かねつきせん)を集めてまかなったようです。 いまの鐘には「寶永辛卯四月中浣鋳物御大工椎名伊豫藤原重休」という銘(めい)があります。この銘と記録から、六代将軍家宣(いえのぶ)の時代にあたる宝永辛卯(ほうえいしんぼう)、つまり1711年に改めて鋳(い)られた鐘と考えられています。 明治のはじめには、神仏分離令(しんぶつぶんりれい)、太陰暦(たいいんれき)の導入、時刻制度の変更、正午を知らせる午砲(ごほう)の設置などが重なり、時の鐘は役目を終えました。鐘はその後、本石町三丁目の油問屋の松澤(まつざわ)家の手に渡り、関東大震災のあとに東京都へ移されました。 震災後の復興事業で整備された十思公園には、鉄筋コンクリート造の鐘楼堂が建てられ、鐘はそこに移されて今に至ります。移された年は昭和5年(1930)と伝える資料もあります。

見どころ・特徴

【鐘のすがた】高さは約1.7メートル、口径(こうけい)は約93センチメートルです。鐘の表面に刻まれた銘から、1711年の改鋳と考えられています。 【鐘楼堂】鐘を収める鐘楼堂は、関東大震災のあとに整備された十思公園の中に建てられた、鉄筋コンクリート造の建物です。 【鐘の音】いまは除夜の鐘として撞かれています。中央区は、古いものを捨てて新しいものを取り入れる思いを込めて撞く鐘で、町中に染み入るような黄鐘調(おうしきちょう)の音色を響かせている、と紹介しています。 【時の鐘のしくみ】江戸の人びとは、鐘の音で一日の時刻を知りました。鐘の聞こえる範囲の町が少しずつお金を出し合って鐘を支えていた点も、寺の鐘とは違うところです。 【周辺を歩く】鐘のある十思公園は、伝馬町牢屋敷跡(てんまちょうろうやしきあと)の敷地の一部にあたります。中央区の文化財のページによると、牢屋敷の範囲は、いまの十思公園、十思スクエア、大安楽寺(だいあんらくじ)、身延別院(みのぶべついん)などを含むあたりと考えられています。
年中行事・お祭り
除夜の鐘として撞かれています。 また、終戦記念日の8月15日には、小伝馬町一の部町会による「終戦記念日慰霊の鐘撞」として、十思公園で鐘が撞かれた様子を中央区が紹介しています(令和4年、5年、7年の記録)。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
指定・選定
東京都指定文化財(工芸品)。伝馬町牢屋敷跡(東京都指定の旧跡)の敷地内。
成立・年代
二代将軍徳川秀忠の時代に本石町三丁目に設けられたといわれています。現在の鐘は宝永辛卯(1711年)の改鋳と考えられています。
基本情報
住所
東京都中央区日本橋小伝馬町5(十思公園内)
見学時間
十思公園の中にあります。鐘の見学のしかたは確認できていません。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
地図でご確認ください。十思公園の園内にあります。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

訪問記録

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