タビシリ
史跡 千代田区

常盤橋門跡

ときわばしもんあと

別名:常磐橋、常盤橋門址

この史跡について
常盤橋門跡(ときわばしもんあと)は、日本橋川(にほんばしがわ)のほとり、日本銀行本店の近くにある、江戸城(えどじょう)の門の跡です。千代田区立の常盤橋公園の中に、大きな石を積んだ石垣(いしがき)が残っています。 国の史跡(しせき)に指定されていて、石垣のほか、明治10年(1877)に架けられた石造りの常磐橋(ときわばし)も指定の対象です。公園の一角には、渋沢栄一(しぶさわえいいち)の銅像も立っています。

歴史・由来

江戸城は、中心にある大手門(おおてもん)へ向かう道に、いくつもの門を重ねて守りを固めていました。常盤橋門は、そのいちばん外側にあたる外郭(がいかく)の正門です。奥州道(おうしゅうどう)への出口にもなっていたため、浅草口(あさくさぐち)や大手口とも呼ばれ、江戸五口(えどごこう)の一つに数えられました。 寛永6年(1629)ごろ、出羽(でわ)や奥州の大名たちによって、石垣で囲んだ枡形(ますがた)の門が築かれました。枡形とは、門の内側に四角い広場を設けた造りのことです。 明治6年(1873)に門の建物は取り払われ、石垣だけが残りました。明治10年(1877)には、それまでの木の橋に代わって石造二連(にれん)アーチの常磐橋が架けられました。この橋には、外堀(そとぼり)にあった小石川門(こいしかわもん)の石材が使われたと、中央区は紹介しています。 大正12年(1923)の関東大震災で、枡形の石垣と常磐橋は大きな被害を受けました。昭和8年(1933)に渋沢青淵翁記念会(しぶさわせいえんおうきねんかい)が復旧整備を行い、東京市の公園として公開されました。国の史跡に指定されたのは、昭和3年(1928)3月24日です。 平成23年(2011)の東日本大震災でも、石垣と橋が傷みました。千代田区が長い年月をかけて修理を進め、枡形石垣は平成25年(2013)2月に、橋は令和2年(2020)9月に修理が終わりました。橋は令和3年(2021)5月10日に通行が再開されています。

見どころ・特徴

【枡形の石垣】門の内側を囲んでいた石垣が、公園の中に残っています。現在見られる枡形の石垣は、もとの大きさのおよそ半分とされています。昭和44年(1969)には首都高速道路の工事のため、いったん解体されて復元されました。 【石造二連アーチの常磐橋】明治10年(1877)に架けられた石の橋で、二つのアーチが並ぶ姿が特徴です。東日本大震災でアーチを組む石(輪石)がゆがみ、崩れるおそれが出たため、千代田区が修理を行いました。古い写真などをもとに、建てられた当時の姿に近づける復元も行われています。 【渋沢栄一の銅像】渋沢栄一は、500以上の会社の設立にかかわり、「近代日本資本主義の父」と呼ばれる人物です。公園の銅像は彫刻家の朝倉文夫(あさくらふみお)の作で、最初の像は昭和8年(1933)にできましたが、戦争中に金属供出(きんぞくきょうしゅつ)で撤去され、昭和30年(1955)に再建されました。 【工事のあとで】橋と公園は、修理工事のために長いあいだ立ち入れませんでした。千代田区の案内(2023年5月1日更新)では、工事が終わって公園が開放された一方、出土した遺物を保管する区域は透明な仮囲いで閉じられています。立ち入れる範囲は変わることがあるため、お出かけ前に千代田区の案内でご確認ください。 【周辺を歩く】近くには日本銀行本店があります。日本橋川に沿って、江戸の外堀の景色を思い浮かべながら歩いてみてください。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和3年(1928)3月24日指定)。指定の対象は、枡形の石垣と明治10年(1877)に架けられた石橋(常磐橋)です。
成立・年代
寛永6年(1629)ごろ、出羽や奥州の大名によって枡形石垣と門が築かれました。現在の石橋は明治10年(1877)の架橋です。
基本情報
住所
東京都千代田区大手町2丁目・中央区日本橋本石町2丁目
見学時間
公園の開放の状況は、お出かけ前に千代田区の案内でご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」B1出口から徒歩2分、大手町駅B8出口から徒歩3分(千代田区の観光情報サイトによる)
訪問記録

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