この史跡について
日本橋魚河岸跡(にほんばしうおがしあと)は、日本橋(にほんばし)の北のたもと、東側にある「乙姫(おとひめ)の広場」の史跡です。
江戸時代のはじめから関東大震災(かんとうだいしんさい)まで、日本橋の北側の川ぞいには、魚を売り買いする魚河岸(うおがし)が広がっていました。広場には、そのことを伝える「日本橋魚市場発祥(はっしょう)の地」の記念碑と説明板、乙姫をイメージした像があります。
歴史・由来
江戸に幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)は、江戸城で働く多くの人の食事をまかなうため、摂津国(せっつのくに)の佃村(つくだむら、今の大阪市西淀川区)から漁師(りょうし)たちを呼び寄せたといわれています。漁師たちは江戸の近くで漁をして、とれた魚を徳川家に納めました。
やがて、毎日納める魚の残りを舟板(ふないた)の上に並べて一般の人にも売るようになりました。これが日本橋魚河岸の始まりとされています。
魚河岸は日本橋の北側、本船町(ほんふなちょう)や本小田原町(ほんおだわらちょう)のあたりに広がり、幕府に魚を納めるとともに、江戸の魚の取引の中心として栄えました。江戸の初めから関東大震災まで、日本橋から江戸橋の北側の岸にかけて市が開かれていたと伝えられます。
大正12年(1923年)9月の関東大震災で、日本橋の魚市場は大きな被害を受けました。仮設市場での営業を経て、昭和10年(1935年)に、日本橋の魚市場と京橋の青物市場が移るかたちで、築地に東京市の中央卸売市場(ちゅうおうおろしうりしじょう)が開場しました。
のちに魚市場の関係者が、魚河岸のあった場所に記念碑を建てました。碑は昭和29年(1954年)に建てられたもので、魚河岸の歴史を今に伝えています。
見どころ・特徴
【日本橋魚市場発祥の地の記念碑】日本橋魚河岸があった場所を伝える碑です。昭和29年に、日本橋魚市場の関係者が建てました。
【乙姫の像】碑のとなりに、乙姫をイメージした像があります。中央区観光協会は、龍宮城(りゅうぐうじょう)の住人である海の魚が、ことごとく日本橋に集まったという意味がこめられている、と紹介しています。
【説明板】広場には説明板があり、魚河岸のあらましを読むことができます。
【小さなテラス】乙姫像の横の階段をのぼると、緑をあしらった小さなテラスがあります。日本橋や船着き場を見わたせる場所として紹介されています。
【周辺を歩く】広場は日本橋のたもとにあります。魚河岸があった日本橋の北側の景色を思いうかべながら、日本橋もあわせて見てみましょう。
学び・特徴
成立・年代
碑は昭和29年(1954年)に日本橋魚市場の関係者が建てました。
基本情報
住所
東京都中央区日本橋室町1-8(乙姫の広場)
見学時間
屋外の広場です。見学できる時間の制限は確認できていません。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
最寄り駅は、東京メトロ銀座線・半蔵門線の三越前駅です。徒歩の分数は地図でご確認ください。
訪問記録
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