この寺について
文殊院(もんじゅいん)は、杉並区和泉にある高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)のお寺です。正式には「遍照山高野寺文殊院(へんじょうざんこうやじもんじゅいん)」といい、室町時代の作とされる木造の弘法大師坐像(こうぼうだいしざぞう)を本尊(ほんぞん)とします。
御府内八十八ヶ所(ごふないはちじゅうはちかしょ)の第88番、最後の打留(うちどめ)札所(ふだしょ)で、結願寺(けちがんじ)にあたります。江戸時代には安産を願う人々の信仰を集め、境内には八十八ヶ寺の大師石像やお砂踏み(おすなふみ)の石があります。
歴史・由来
【駿府から江戸、そして和泉へ】
文殊院は、何度も場所を変えてきた寺で、その歩みが江戸の移り変わりと重なっています。杉並区の案内によると、寺伝(じでん)では高野山の興山寺(こうさんじ)の木喰応其(もくじきおうご)上人を開山とします。一方、『文政寺社書上』では、興山寺2世の勢誉(せいよ)が慶長5年(1600)に駿府(すんぷ)で寺地を拝領して開いたとされています。
寛永4年(1627)、興山寺3世の応昌(おうしょう)が江戸の浅草に寺地を与えられ、駿府城北之丸の建物を移して、寺号を高野寺文殊院に改めました。元禄9年(1696)には麻布白金台町(現在の港区白金台)へ移り、大正9年(1920)に区画整理のため現在の和泉へ移りました。
【高野山の江戸の出先として】
江戸時代の文殊院は、高野山行人方(ぎょうにんかた)の在番所(ざいばんしょ)の触頭(ふれがしら)を務め、真言宗で重要な寺院でした。宝暦年間(1751〜1764)には、御府内八十八ヶ所の打留札所となりました。
【安産の弘法大師】
本尊の木造弘法大師坐像は、「難産の女人を救い給う安産守護のご本尊」として信仰され、多くの女性が安産祈願に訪れたと、杉並区の案内にあります。肖像彫刻として優れていることから、平成14年(2002)に杉並区の登録有形文化財に登録されました。
【戦災と再建】
昭和20年(1945)の戦災で堂宇(どうう)が焼け、昭和29年(1954)に本堂が再建されたと紹介されています。
見どころ・特徴
【八十八ヶ寺の大師石像】境内には、大師信仰を示す八十八ヶ寺大師石像があります。八十八の数にちなんだ石像です。
【お砂踏みの石】杉並区の案内に「お砂踏の石」があると書かれています。訪問記では、本堂の前に四国霊場のお砂踏みがあると紹介されています。
【弁財天像と板碑】弁財天像、近くから出土した板碑(いたび)、百度石(ひゃくどいし)も、杉並区の案内で紹介されています。
【犬に導かれる弘法大師像】御府内八十八ヶ所の納経印を紹介するサイトには、二頭の犬に先導された弘法大師の像の写真があり、高野山の開創の様子を表した像と考えられるとされています。
【巡礼の締めくくりに】御府内八十八ヶ所は、第1番の高野山東京別院(港区高輪)から数えて、ここが88番目です。納経印には「結願寺」の文字が入ると紹介されています。
【訪ねかた】御朱印(ごしゅいん)や納経(のうきょう)については、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
学び・特徴
本尊
弘法大師
宗派・寺格
高野山真言宗/御府内八十八ヶ所 第88番(打留・結願寺)/杉並区登録有形文化財(木造弘法大師坐像、平成13年度の登録一覧に掲載、平成14年に登録)
創建
慶長5年(1600)、駿府で開創(興山寺2世勢誉による開創。寺伝では木喰応其を開山とする)。寛永4年(1627)に浅草、元禄9年(1696)に白金台町を経て、大正9年(1920)に現在地へ移転。
テーマ
霊場・巡礼
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
東京都杉並区和泉4-18-17
参拝時間
参拝できる時間は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】東京メトロ丸ノ内線の方南町駅が最寄り駅として紹介されています(掲載サイトの情報)。徒歩の時間は、地図でご確認ください。
【車】駐車場については、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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