この寺について
長久院(ちょうきゅういん)は、台東区谷中(やなか)にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺で、御府内八十八ヶ所(ごふないはちじゅうはちかしょ)の第55番札所です。地誌『下谷區史(したやくし)』は、大日如来(だいにちにょらい)を本尊としています。
境内には、江戸時代に各地をめぐった六十六部(ろくじゅうろくぶ)の修行者が建てた石造の閻魔王(えんまおう)像があり、台東区の文化財になっています。谷中の寺町で、江戸の庶民の信仰の跡に出会える寺です。
歴史・由来
【神田から谷中へ移った寺】
長久院は、慶長16年(1611)2月に宥意(ゆうい)という僧が神田北寺町(かんだきたてらまち)に開いたと伝わる寺です。慶安元年(1648)に現在の谷中へ移りました。本所(現在の墨田区)の弥勒寺(みろくじ)の末寺とされています。
同じ谷中にある第53番自性院と第57番明王院も、記録では同じ慶長16年に神田北寺町で開かれ、同じ慶安元年に谷中へ移ったとされます。谷中六丁目の長久院と自性院は、番地も近い隣り合う寺です。
【六十六部が残した閻魔王像】
境内の石造の閻魔王坐像と両脇侍(りょうわきじ)像は、台座の銘文から、享保11年(1726)に六十六部の光誉円心(こうよえんしん)が建てたと分かります。六十六部とは、法華経を納めながら日本各地の霊場をめぐった巡礼の修行者のことです。
像は、中央に閻魔王、右に司命(しみょう)、左に司録(しろく)を置いた三体一組です。閻魔王は死者の生前の行いによって行き先を決める冥界(めいかい)の王とされ、司命は判決を言い渡す役、司録は判決を記録する役とされます。
台東区は、六十六部が建てた石仏には地蔵が多く、閻魔王像は少ないとして、江戸時代の谷中で六十六部の活動があったことを示す資料と説明しています。平成9年(1997)に台東区の区民文化財に登載されました。
見どころ・特徴
【閻魔王と司命・司録の石仏】
中央の閻魔王を、司命と司録が左右から囲む三体一組の石仏です。台座に刻まれた銘文から、建てた年と建てた人の名が分かるところも、この石仏の特徴です。
【境内の堂】
境内には山門、本堂、庫裏(くり)、大師堂(だいしどう)があります。大師堂には弘法大師(こうぼうだいし)がまつられているのが、御府内八十八ヶ所の寺の通例です。
【周辺を歩く】
同じ谷中六丁目には、第53番自性院と第49番多宝院があります。自性院は、小説『愛染かつら』ゆかりの愛染明王像で知られる寺です。
谷中五丁目には、第57番明王院、第63番観智院、第64番加納院、第42番観音寺があります。観音寺には、赤穂浪士(あこうろうし)の供養塔と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
【訪ねかた】
御朱印や納経を希望する場合は、授与の有無と受付の時間を、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
学び・特徴
本尊
大日如来
宗派・寺格
真言宗豊山派/御府内八十八ヶ所 第55番/台東区区民文化財(六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像、1997年登載)
創建
慶長16年(1611)2月、宥意が神田北寺町に開山したと伝わります。慶安元年(1648)に現在地の谷中へ移りました。
テーマ
霊場・巡礼
基本情報
住所
東京都台東区谷中6-2-16
参拝時間
参拝できる時間や御朱印の受付時間は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR・京成線の日暮里駅から歩く行き方があります。同じ谷中六丁目にある自性院について、台東区の観光案内は日暮里駅から徒歩9分としています。長久院ご自身の徒歩時間は、お出かけ前に地図でご確認ください。
【車】駐車場の有無は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
参拝記録
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