この寺について
自性院(じしょういん)は、台東区谷中(やなか)にある新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の寺で、御府内八十八ヶ所(ごふないはちじゅうはちかしょ)の第53番札所です。境内の愛染堂(あいぜんどう)には愛染明王(あいぜんみょうおう)の像が安置され、縁結びや家庭円満の仏として信仰されてきました。
昭和初期の作家・川口松太郎(かわぐちまつたろう)の小説『愛染かつら』は、この寺の愛染明王像と本堂前の桂(かつら)の古木にヒントを得たといわれ、台東区の観光案内でも「愛染かつらゆかりの地」として紹介されています。谷中の寺町を歩く途中に訪ねやすい札所です。
歴史・由来
【同じ年に神田で開かれた谷中の三か寺】
自性院は、慶長16年(1611)に道意(どうい)上人が神田北寺町(かんだきたてらまち)に開いた寺と伝わります。慶安元年(1648)に神田の寺地が幕府の用地になったため、代わりの土地を与えられて現在の谷中へ移りました。
同じ谷中にある第55番長久院と第57番明王院も、記録では同じ慶長16年に神田北寺町で開かれ、同じ慶安元年に谷中へ移ったとされています。本所(現在の墨田区)の弥勒寺(みろくじ)の末寺という点も共通します。三つの寺は、よく似た歩みをたどって谷中に並んだことになります。
【愛染明王像と「愛染寺」の名】
伝えでは、元文年間(1736〜41)に第9世の貫海(かんかい)上人が境内の楠(くすのき)で愛染明王像を彫ったとされます。像の高さは約1メートルで、像の中には、貫海上人が高野山(こうやさん)の奥の院へ向かう道で拾った小さな愛染明王が納められているといいます。
文化・文政のころ(1804〜30)には評判が近在に広がり、江戸時代の中ごろからは「愛染寺」とも呼ばれるようになりました。
【区の文化財に数えられる古い仏像】
寺には、応永30年(1423)につくられた木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)があります。像の内部に制作時の銘文があり、施主(せしゅ)の名とともに年代がはっきり分かる例として、台東区の文化財説明で紹介されています。
木造不動明王立像(もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう)は、鎌倉時代の初めごろの作と推定され、台東区の指定文化財になっています。
見どころ・特徴
【愛染堂と愛染明王像】
境内の愛染堂には、縁結びや家庭円満の仏として信仰される愛染明王像が安置されています。台東区の観光案内によると像は非公開なので、堂の前で手を合わせて参拝します。
【愛染かつらゆかりの地】
川口松太郎の小説『愛染かつら』が、この寺の愛染明王像と、本堂前にあった桂の古木から着想を得たといわれることから、台東区は「愛染かつらゆかりの地」として紹介しています。小説の題名の由来を思い浮かべながら歩くと、境内の見え方が変わります。
【台東区の文化財】
木造阿弥陀如来坐像は台東区の区民文化財、木造不動明王立像は台東区の指定文化財です。拝観できるかどうかは区の資料では確認できないため、見たい場合は寺へ直接お問い合わせください。
【周辺を歩く】
同じ谷中六丁目には、第55番長久院と第49番多宝院があります。谷中五丁目には、第57番明王院、第42番観音寺、第63番観智院、第64番加納院があり、御府内八十八ヶ所の札所を続けて訪ねる散策が組み立てやすい町です。
【訪ねかた】
御朱印や納経を希望する場合は、授与の有無と受付の時間を、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
作品ゆかり
昭和初期の作家・川口松太郎の小説『愛染かつら』は、この寺の愛染明王像と、本堂前にあった桂の古木にヒントを得て書かれたといわれています。
学び・特徴
本尊
愛染明王
宗派・寺格
新義真言宗/御府内八十八ヶ所 第53番/台東区指定有形文化財(木造不動明王立像、1990年指定)/台東区区民文化財(木造阿弥陀如来坐像、1989年登載)
創建
慶長16年(1611)、道意上人が神田北寺町に創建したと伝わります。慶安元年(1648)に現在地の谷中へ移りました。
テーマ
霊場・巡礼
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
東京都台東区谷中6-2-8
参拝時間
参拝できる時間や御朱印の受付時間は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
愛染堂の愛染明王像は非公開です(台東区の観光案内による)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR・京成線の日暮里駅から徒歩9分ほどです。
【バス】東西めぐりんバスの谷中霊園入口から徒歩1分ほどです。
【車】駐車場の有無は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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